活躍する泉萩会会員

土佐 誠さん

昭和43年天文学科卒
土佐 誠さん

【現在】仙台市天文台 台長 (仙台市天文台のホームページ


1944年東京都生まれ。1968年東北大学理学部卒業。理学博士。専門は銀河物理学。1973年東北大大学院修了後、名古屋大助手、東北大助教授、同教授を歴任。2008年3月、東北大学大学院理学研究科天文学専攻教授を定年退官し、同年4月に仙台市天文台台長に就任。

今回訪問したOBは、S43年天文学科卒の土佐誠さんです。土佐さんは2008年3月に東北大学大学院理学研究科天文学専攻教授を定年退官後、同年4月から仙台市天文台台長に就任。同年7月の新天文台開館を指揮し、移転から1年で開館前の想定をはるかに超える年間入館者数50万人を達成しました。土佐さんへのインタビューを通して、理学部物理系同窓生の活躍をご紹介します。


―天文というジャンルは変わっていませんが、東北大学教授から仙台市天文台台長に立場が変わったことで、土佐さんの認識が変わったこと・変わっていないことは何ですか?


◆自然の謎に触れ、自分で考えて、謎を解きながら、自然への理解を深める

 自然を見ると、いろいろな現象やものがあって、「おもしろい」「なんでだろう?」と疑問に感じることが、いろいろあるわけです。それを自分で考えて、自然の謎が解ける。別の言葉を使えば、ほんとうのことを知りたい。そういうことを追求していくのが、おもしろいのです。

 科学の対象というか、自然はすごく幅が広くて奥行きがあり、いろいろなことがいろいろなふうにつながっています。僕が科学に興味を持ったのはそこでした。

このごろ、科学というと、すごく役に立つとか、世界で初めてとか、派手で迫力のある部分だけがニュースなどに断片的に取りあげられますが、僕が科学で面白いと思うところは、そういった自然のいろいろながりを解明していくうちに全体が理解できる、そこに科学の本質があると思っています。

 自然の謎に触れ、それをそれぞれの人がいろいろ考えて、自然の謎を解きながら、自然への理解を深める。そこが、今も変わらないところですね。


◆自然を味わったり、いろいろな現象を深く見ることを、一緒にやりたい

 ただ最近は、大学も競争が激しい社会でしてね。大学の研究者の頃は、できるだけ早く研究成果を出したり、お金を獲得したり、あるいは大学の運営も担当したり、ということがあったのですが、ここではもう少し余裕を持って、科学ってどういうものなのかを、広く考えています。

 僕らが生きていく上で、科学を知っていることによって、自然と上手に付き合うことができて、生活が楽しくなる、人生が豊かになる。そういうことを、今は主に考えるようにしています。

 特に、今の科学は、ものすごく派手なところがあるけれども、そこで自然に対する理解は深まったか?というと、どうでしょうか。天文台でパブリックビューイングした衛星打上げも、迫力があって興奮することではあるけれどもね。もちろん本人達は、立派に科学的な仕事をして成果をあげているわけですが、僕らから見た場合には、科学については何もわからないわけです。

 科学は、自然に興味を持ったり、「不思議だな」と思ったことがあったら、それを考えたり調べたりしたりして、自分で解明して、ほんとうのことを知る、というのが科学の真髄じゃないかと思うのです。

 そういう意味では、今の社会での科学の取り上げられ方は、もちろんそれは華やかで面白くて良いのだけど、僕のイメージしている科学とはちょっと違うような印象です。それだけじゃなくて、自然を味わったり、いろいろな現象を深く見ることを、一緒にやれればいいなと思っています。


◆「宇宙を身近に」実現に向け、いろいろな人との交流がおもしろい

 あと、ここには、いろいろな人がいるわけね。全然違う分野で、あるいは普通の市民の感覚で、「おもしろい」とか「つまんない」とか、言ってくれる人がいます。それぞれが感じたことを、いろいろ話したりする。そういう人たちとの交流が楽しいし、おもしろいですね。

 わたしたち天文台のスタッフは、市民と接するのが一番の仕事です。仙台市天文台では、施設のミッションをできるだけわかりやすい言葉にしようと、「宇宙を身近に」という標語をつくりました。

 「宇宙を身近に」という同じ目標を実現するために、天文台スタッフ全員が、いろいろなことを考えて、それぞれの立場で仕事をして、仙台市天文台全体として仕事をしている、という感じですね。


◆「なんでだろう?」と深く興味を持った人にも応えたい

 僕は、これまで天文学を専門的に勉強してきたので、「宇宙を身近に」感じて、さらに深く興味を持ったら、そこで科学に触れてもらいたいと思っています。つまり、学問としての天文学に触れることを考えているんです。

 星を見て「綺麗だな」「感激した」。施設としては、楽しくひと時を過ごしてもらうことにも意味があると思います。けれども、その先に「なんでだろう?」と、さらに深く興味を持った人に応えられるようなものをつくりたいですね。

 例えば、星の写真を撮って、「これ、何だろう?」と思った人には、大きな望遠鏡でスペクトルをとってみると、それが何だかわかります。あるいは星の性質が詳しくわかるとかね。

 ただし、このような施設の場合、興味を持った先のフォローアップが、なかなか難しいのが現状です。そもそも天文学的な専門知識を持っている人が少ないですし、その先は物理学や数学の基礎を勉強した上でないと、理解できないこともあります。

 特に興味が深まった人や、科学者を目指す生徒や学生は、もちろん人数的には少なくなるとは思いますが、そういう人たちに応えられることを考えたいですね。


◆天文学を体験しながら、理解を深めていくものを

 天文台でも学校の授業をやっていて、(仙台市内の)中学生は必ず一回ここで授業を受けることになっています。小学生も、かなりの学校が来ています。授業は、もちろん学校の学習指導要領に沿ってはいますが、もし科学に興味を持つとしたら、どうしてもそこからはみ出ます。

 そこからさらに興味が膨らんだ部分、はみ出た部分を、ここでいろいろ興味を持ったり勉強してくれたら良いなと思います。そこから先は、それぞれの子どもの自然な発展だと思っています。それぞれ子どもが持っている知識や感覚によって、興味の持ち方はちがいますから。

 例えば、「将来、科学者になりたい」という子どもがいたなら、そのような興味を持ちながら、やはり基礎がないと理解ができない部分もあるので、数学や物理の勉強をしながら、星に対する興味を深められたら良いと思います。

 また、例えば夜に金星を見て「光っていて、綺麗だな。あれは近づいたら、どんな風に見えるんだろう?」と思えば、望遠鏡を覗いてみる。「星っていうけど、木星や地球と同じ、天体なのだな。けれどもそれが、どうして、満ち欠けをするのだろう?」これは昔、ガリレオが考えたことなのですけど。そういう風にして、理解を深めていくとかね。

 そのようなプログラムをいくつかつくって用意しておいて、そこから入って、科学や天文学を実際に体験しながら理解を深めるものを考えています。


◆市民レベルで科学に興味を持ってもらいたい

 「ここから将来、天文学者が出ると良いですね」という言い方をよくされます。もちろんそうなっても欲しいのだけど、僕の場合ね、市民レベルで、もう少し科学に興味を持ってもらいたいと思っています。

 例えばスポーツは、プロもアマチュアもあれば、日曜日に子どもと一緒にやるようなものもあって、すごく幅広くなっていますよね。その一方で、科学や文化の場合、プロはいて愛好家は一部いるけれども、もうちょっと、科学に興味を持つ大衆がいても良いのではないかと思うのです。

 僕が小さな頃は、たくさんあった日本の科学雑誌も、今はどんどん廃れていっています。科学に興味を持ったり理解する人が、少ないのかもしれません。もうちょっとね、そういう雑誌を読んで楽しめる人たちがいても良いのだと思うのだけど。

 大学で科学や物理を勉強した人が、少し余裕が出てきたら、その基礎をもとに星や宇宙に興味を持ったら、いろいろおもしろいと思うのですけどね。だから、専門家を育てることだけじゃなくって、科学に理解のある市民が来てくれると良いなと思うのです。


◆大人にも科学に目覚めてもらいたいなぁ

 こういう施設の場合、どうしても「子どものために」とか「理科教育のために」と言われてしまいますが、できるだけ大人の人にも来てもらって、一歩進んで、科学に目覚めてもらいたいなぁ。スポーツは、あんなに盛んなのにね。スポーツ以外の文化は、日本では全滅かなぁ・・・どうかなぁ。

 勉強というと学校、学校というと試験や受験になっちゃうけど、本当は学校はほんの一部で、その外側に文化施設かなんかがあってね。生涯学習という言葉があるけど、一生続けて勉強をしていくような場所に天文台がなれたなら良いなと思います。

 天文学は、森羅万象すべてを扱う学問だと、言っているわけですけど(笑)、森羅万象、人間活動すべてに関わることとして、何でもやろうとしています。

 科学だけだと、どうしても、そういう気持ちが育たないのかな。もう少し文化かなんかを大事にしたり、考えてたり、良いと思う雰囲気がないとね。


◆天文台が、科学や文化と出会う場所に

 科学、特に天文学は、歴史のある学問です。文明ができた頃から、暦や時間を、天文学がつくってきたわけです。それから星座も、ギリシア神話や星占いなど、いろいろあります。つまり天文学は、生活の中に、文化の中に、広く浸透しているのですね。

 そのような方面から、科学の方面に興味を持ってもらっても良いし、星に興味をもった人が、広く星に関わる文化に興味をもってもらっても良いでしょう。天文台が、そういうものに出会う場所になれれば、と思います。

 ただし、怪しい宗教のページを見ると、星や天体が映っていたりするわけね。人を騙すことに科学が悪用されないよう、考えていかなければならないなとも思っています。そういう意味では、天文学は危ないところもあるので。

 もちろん星座や星占いは、文化遺産としては価値があるものだと思います。ですから星座や星占いは、科学じゃなくて、ある種の物語だと考える分には良いと思います。

 星座そのものは、別に現実のものではなくて、人間が勝手に想像してつくったもの。長い歴史があって、星座はギリシア神話を題材にして、そこから絵画や音楽がつくられています。イマジネーションを発揮した面白い物語やSFもそうですね。

 それ自身はおもしろい文化活動だと思いますし、人間の創造力を刺激するものですので、文化的な遺産として大事にしたいと思っています。しかしながら、その一方でそれを悪用する人も絶えないわけです。

 ですから、そういうものに触れてほしいとも思うし、偽科学は偽科学とわかるような目を養ってもらいたい。それは科学を広めることと、表裏一体だと思っています。

―そもそも宇宙は、地球上の草のように手で触れられないものです。それでも土佐さんが宇宙を自然の一部としてとらえ、研究対象にしたのはなぜですか?


◆月を身近に感じたきっかけ

 あまり深くは、考えていないのだけどね。最初、宇宙に興味を持ったのは、初めて望遠鏡で月を見て、クレータがあるのが見えたとき。うちは父親がカメラ屋をやっていたから、たまたま、まわりにレンズが転がっていてね。望遠鏡なんかはうちになかったけど、カメラを壊してレンズを見てみたら、大きく見えたり、小さく見えたりするわけです。

 最初はよく見えなかったのだけども、試行錯誤して望遠鏡ができて、自分でつくった望遠鏡で月を見たとき、「本当にこういうところにクレーターがあるんだ!」と、月をすごく身近に感じたの。それまで月って、あまり意識していなかったのだけど、実際に月にクレーターが見えて、すごく身近に感じたわけです。

 それと、これも小学生の高学年頃かな。当時、子どもに対するプレッシャーが強くてね。良い子でいなければいけない、悪いことをすると、「あの世」に神様がいて罰を与える、とかね。要するに当時、「この世」と「あの世」、ふたつしか世界がなくってね。ときどき「あの世」からのプレッシャーがあるの(笑)

 けれども、「あの世」と「この世」の間にね、お月さんや宇宙がある、ということが何となく感じられて。手は届かないのだけども、現実の世界が、「この世」と「あの世」の間にある。そこには、いろいろ面白いことがあるようだと感じられて、開放感というか、新しい世界を見つけたような気がしたのです。


◆何でも興味をもつと、身近に感じる

 つまり、身近に感じたというのは、興味が湧いた、ということかしらね。本を読んだり、もっと大きい望遠鏡をつくったりしながら、いろいろな天体がよく見えるようになったりしてね。それで何だかすごく、世界が広がった気がしました。

 宇宙という世界は、直接手は届かないけれど、「この世」と「あの世」の間にある現実の世界で、いろいろ探求したり、追及したり、むしろ実感を伴ったり。つまり、何でも興味をもつと、身近に感じる、ということがあるのではないかしらね。

 宇宙に限らず、人間でも、知らなければ距離を感じるし、理解すれば身近になるしね。例えば、総理大臣も今すごく遠くに感じるけれども、直接話すと案外ね、身近に感じることもあるかもしれないしね。

 宇宙の場合、科学的には天体がどうこうとか、いろいろあるけれども、夕焼けの中に細い月が見えたりすると、それだけで美しい風景になる。それだけでも、宇宙を身近に感じるのではないでしょうか。

 宇宙からの距離は、普通の人と同じだけれども、興味を持って調べると、いろいろなことがわかるので、その分だけ身近になる、ということだと思うのだけどね。


◆宇宙の歴史をたどると、宇宙と人間との関係性が出てくる

 それと、もうひとつ、天文学を勉強して、感じたことがありました。宇宙には歴史があって、ビックバンというはじまりがあります。最初は天体も何もなくて、熱いガスのような状態だったものが、宇宙が膨張する中で、万有引力で物質が集まってきてね、銀河ができたり、銀河の中に星が生まれたりしていきます。

 そしてある時期、太陽が生まれて、地球が生まれて、その地球上で生物が進化して、今、ここまで来た、と。星は輝いているけれども、その中心では核融合、つまり原子力で、エネルギーを出しているわけです。

 そのときに、新しい元素をどんどんつくっているんですね。原子同士が衝突してエネルギーが出るわけですけど、原子の核がくっつくと、新しい元素ができるわけです。

 このようにして星の中で新しい元素を盛んにつくっているわけですが、星が死ぬとき、大爆発をして、元素を宇宙にばらまくわけです。そういうことを繰り返しながら、宇宙の元素がだんだん増えていく。

 太陽や地球ができるときは、そういうものも含めて元素が集まってきて、その元素で、わたしたちの体がつくられているのね。今ここに炭素や酸素があるけれども、これはどこかの星でつくられたもの。わたしたち人間も、星のかけらなんですね。つまり、宇宙と人間との関係性が、宇宙の歴史をたどると、出てくるということ。


◆天文学を勉強していて、すごく嬉しかったこと

 そもそも僕が天文学の勉強をしたいと思ったのは、もちろん星に関心があったのだけど、人間関係の難しさというかね、それとは少し反対の方向に行きたいというのがありました。

 小さい頃は、人の気持ちとか人間関係とか、なかなか難しいところがあって。それにうちは貧乏だったから、そこから離れた世界で勉強したいという気持ちがあったのです。

 ただね、勉強していて、全然人間と関係がないのも寂しいなぁ、と思っていて。特に、天文学を勉強したいとまわりに言うと、「天文学は何の役に立つの?役に立たないじゃか」と言われるわけです。

 父親もがっかりしていてね。その頃、天文学というと、就職口がないと言われていました。ですから当時、天文学に行くということで、肩身の狭い思いをずっとしてきたのです。

 人間から離れた自然を、と思ってはいたのだけど、けれども人間と全然関係ないのも寂しいなぁと思っていたら、実は、人間をつくっている元素は、星の中でつくられたものだと知って、すごく嬉しかったですね。

 つまり、人から離れて孤独というわけではなく、自然の中に人間がいて、人間が存在していることの理解につながっているのです。そういうことを感じて、天文学を勉強していて良かったなぁ、と思ったことがありましたね。


◆天文学なんて、食えないし、役に立たないし、どうしようか

 そういうことは、学問や、学問以外でもあるかもしれないね。全然関係ないと思っていたものや、反対側に行っていたと思ったものが、巡り巡ってつながりが出てきて。そうなると、別のおもしろさが出てきたりしてね。

 僕は人からはよく、「小さい頃から純粋に星や科学に興味を持って、それを追求していて幸せですね」と言われるんだけれども、必ずしもそう単純ではなくてね。天文学なんて、食えないし、役に立たないし、どうしようか。

 当時は大学院に進学する人は少なくて。ましてや天文学に残る人はもっと少なくて。大学院に進学するときは、もう修道院か何かに入るつもりで、世俗の欲望は棚に上げて、というか、捨ててね。やれるところまでやってみよう、食えなくなったらそのときに考えよう、という覚悟で入りました。

 当時の天文学の就職口は、日本では大学の先生になるか、あるいは東大付属の天文台(現在の国立天文台)か、そこくらい。実際、博士課程を終わる頃、天文学の研究をできる職はほとんどありませんでした。

 コンピュータ会社が雇ってくれるという話はあったのですが、別分野で外国。たまたま名古屋大学に助手の口ができたんで、本当にラッキーでした。


◆東北大に落ちていたら、今頃は天文台の技師

 高校を卒業するときはね、もし大学へ行けなかったら、しょうがないから働こうと思っていて。働くなら、天文台で働きたいと思っていました。東京天文台は、東大の施設なので、公務員なのね。だから公務員試験を受けて、希望先に東京天文台と出しました。

 すると天文台から、採用したいから技師として来い、という返事があって。そこで面接に行って、天文台の先生から、いろいろ話を聞いてね。じゃあ、もし大学に落ちたら、天文台に来たら、と。ただし天文学は専門的な勉強をしてはじめてできることだから、大学に入って勉強して、それから研究者として、いろいろ考えなさい、と。

 それで結局は、東北大に合格したので、こっちに来たのですけどね。そのとき東北大に落ちていたら、天文台の技師として、観測機械の整備とか、そういう仕事をしていたんじゃないかと思うのですけどね。


◆「真理は、真理ゆえに尊い」と聞いて、ほっとした

 僕は東京で育ち、それから仙台に来ましたが、以前、仙台市天文台が西公園にあった頃、二代目天文台長の小坂由須人(故人)さんという、ちょっと変わった人と出会いました。その小坂さんが「真理は、真理ゆえに尊い」と。

 つまり、「ほんとうのことを知りたい」ということは、役に立つ・立たないは関係なく、それだけで尊いんだ、と。これまではただ興味を持って追求するだけでは何の役にも立たないではないかと、非常に肩身の狭い思いをしていたのですが、それを聞いて、ほっとしたのを覚えています。

 結果から言えば、自然に対する理解を深めたら、役に立たないわけは、ないわけです。むしろ人間が自然の中で生きている中での、自然な活動じゃないかと思っています。


◆いろいろ興味を持つことが、人間の生命力の素

 今、科学は「何のために役に立つか」が、すごく強調されますね。もちろん、科学技術や医学など、人間生活に役立てることが最初の目的になっている分野もあるわけです。

 けれども僕自身が考えている科学は、もちろん役に立つに越したことはないけど、自然への理解を深めること。そうすると自然を見ていても、自然の理解が深まれば、自然がすごく身近になって、人生を通じて楽しめる。

 役に立つ科学や仕事というと、それは現役の仕事としてやっているうちは良いかもしれないけど、一人の人間としてね、自然と向き合ったとき、役に立つ・立たないという価値判断では、それこそ役に立たないのではないかと思うのです。自分にとって、自分の生きる力として、役に立つかどうかが、大事じゃないかなと思うのですけどね。

 そもそも、いろいろ興味を持つということが、人間の生命力の素だと思います。自然のことをいろいろ知れば、興味が湧いてくるし、それが、ひとつの生きる力ではないでしょうか。

―土佐さん、本日はありがとうございました。



【宮城の新聞】土佐 誠 さん(仙台市天文台台長・前日本天文学会理事長)