泉萩会とは


 泉萩会は東北大学理学部物理系同窓会の別称です。泉萩会の性格は会則に規定されておりますが、その実態を以下で簡潔に説明いたします。

 泉萩会は理学部・理学研究科物理系(物理学科・同専攻、宇宙地球物理学科・天文学専攻ページ・地球物理学専攻)の卒業・修了生、学部学生、大学院生、教員から成る同窓会として、会員相互の親睦と連絡をはかり、あわせて物理系学科・専攻における研究・教育の発展に資することを目的として1984年11月に設立されました(その経緯につきましては別項をご参照ください)。泉萩会は現在国内外を合わせて約6,000人の会員を擁し、これらの会員は各界で活躍しております。

 活動内容としては、年1回の会報発行、講演会・総会並びに懇親会の開催、森田記念賞・泉萩会奨励賞の授与、会員名簿の発行などがあります。

  • 会報には、当該年度の卒業・修了生の寄稿記事、新任・退職教員の挨拶、「サイエンス・トピックス」としての最新の研究成果の紹介、会員からの寄稿記事、当該年度の修士・博士論文のタイトルリスト、などが掲載されています。
  • 講演会の講師としては、物理科学およびその周辺で顕著な業績を上げている専門家が選ばれます。また、親睦と情報交換を目的として開催される懇親会には、若い人を含めて多くの会員が参加しています。総会、講演会、懇親会は同じ日に開催され、1年おきに仙台と東京が会場となります。
  • 森田記念賞は、物理科学分野の基礎研究・応用研究で優れた業績を挙げた若手研究者・技術者(会員)を表彰することを目的として設置され、昨年は第4回目の受賞者を出しております。泉萩会奨励賞は森田記念賞と同様の目的で昨年の総会で設置された賞ですが、受賞者はより若い年令の者を想定しております。両賞の授与式は毎年の総会時に挙行されます。


泉萩会発足の経緯

第2代泉萩会々長
森田 章
(昭和20年物理卒)

1.前史―自修会の歴史

 略
(東北大学理学部自修会は理学部開講の翌年(1912年)に発足し、後理学部同窓会の役割を果たした時期もあったが、紆余曲折の上、1971年を最後に、理学部同窓会としての性格を喪失したことなどが記されている。)

2.泉萩会設立の経緯

 前述のように昭和46年度(1971年)以降自修会会員名簿の発行が見送られている.その間物理系以外の各教室では別途に教室同窓生名簿の取りまとめを行っていたようであるが,物理系教室では具体的には何もしなかった.その間同窓生からは時折自修会会員名簿の問い合わせが来ていた.その頃森田章教授(昭和20年物理卒)はこのまま放置しておくと物理系4学科同窓生の消息の把握が次第に困難になることを危惧し何か手を打ちたいと思ったが,その為に必要な時間と経費,さらには数年後に控えた定年退官を考え,二の足を踏んでいた.彼がこの事情を佐川敬教授(昭和26年物理卒)に相談したところ,佐川教授は即座に「やりましょう」と言った.昭和58年(1983年)2月中旬のことである.

 早速天文学科須田和男教授(昭和25年物理卒)と地球物理学科近藤純正教授(昭和32年地物卒)に呼びかけ,佐川,森田との4名で相談し,物理系4学科同窓会名簿の整備を開始した.取り敢えず消息のわかっている同窓生に手元の関係書類のコピーを送り,同窓生の消息や異動による訂正などの情報の収集から始めた.幸い同窓生や教室内外の多数の方々の協力により,年末には何とか名簿原稿の原形が纏まり,翌年6月頃名簿発行可能の見通しが立った.

 しかし10年余の空白の影響は大きく,出来上がった名簿には消息不明者や記載ミスが多かった.関係者一同は此の名簿作成作業を通して,日頃の組織的な連絡とその為の同窓会組織の必要性を痛感させられた.また,物理系4学科が明治44年設置以来の片平キャンパスから昭和51年青葉山キャンパスへ移転して既に8年が経過したが,新キャンパスの現状を多くの同窓生に見ていただく必要性を認識した.その結果,物理系4学科同窓会を立ち上げ,その設立総会を青葉山キャンパスで開催する話が急遽まとまった.直ちに佐川敬が中心になって,須田和男,近藤純正,堀江忠児(昭和20年物理卒,工学部<当時の所属部局:以下同様>),篠原猛(昭和33年物理卒,金研),藤崎春雄(昭和23年物理卒,科研),福田義一(昭和23年物理卒,教養部)によって物理系4学科同窓会会則(案)の作成が進められ,平行して11月2日青葉山キャンパスの理学部大講堂で設立総会を開催する準備が始められた.

 昭和59年(1984年)11月2日午後3時より理学部大講堂で理学部物理系4学科同窓会の設立総会が同窓生170余名の出席を得て開催された.総会では,経過報告と4教室の現状報告に続いて議事に入り,同窓会会則(案)を原案を一部修正の上承認し,会長加藤愛雄(昭和5年物理卒)副会長森田章(昭和20年物理卒)を選出した.かくて東北大学理学部物理系4学科同窓会が発足した.ただし会の名称はこのままでは長すぎると言うことで,適当な名称の決定が常務理事会に委託された.総会終了後希望者に対して青葉山キャンパス内の物理系各学科施設の見学会を行った.引き続いて午後6時から市内の後藤江陽会館(龍天紅)で懇親会を開催し、一同同窓会の発足を祝った.

 総会で常務理事会に任かされた会の名称は,在仙の理事の間での意見を基にして,泉萩会と決定した.その決定の由来について泉萩会会報第1号末尾の「事務局より」の項に,「昭和五十一年に物理系四教室は創立以来の地である片平地区を離れて青葉山地区に移転した.教室の建物は同地区の北部に位置し,物理A棟の屋上に立てば泉岳は指呼の間である.萩は言わずと知れた仙台を代表する花である.よって我々の同窓会を泉萩会と名付けたしだいである.」と記載されている.

(泉萩会々報第23号からの抜粋)