活躍する泉萩会会員

鈴木 厚人さん

S49物理学専攻博士課程修了
鈴木 厚人さん

【現在】高エネルギー加速器研究機構 機構長
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1946年新潟県生まれ。素粒子物理学・ニュートリノ物理学が専門。1969年新潟大学理学部卒業、1974年東北大学大学院理学研究科修了(理学博士)。高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)助手、東京大学理学部助手、高エネルギー物理学研究所助教授、東北大学教授、東北大学附属ニュートリノ科学研究センター長、東北大学副学長などを経て、2006年から高エネルギー加速器研究機構長。2003年仁科記念賞、2005年紫綬褒章、2006年学士院賞など多数の賞を受賞。

今回訪問した会員は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)機構長の鈴木厚人さんです。2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんの助手として、「カミオカンデ」「スーパーカミオカンデ」実験で活躍した鈴木さんは、ある想いを胸に東北大学へ戻り、「カムランド」実験を提唱。カムランドでは、消えた太陽ニュートリノの謎を解明したほか、2005年には地球ニュートリノの検出に世界で初めて成功し、ニュートリノ地球科学という新しい研究分野の道を切り拓きました。激しい国際競争の中で、世界のトップを走り続ける鈴木さんが、リアルに感じる科学とはそもそも何かを聞きました。



■人間に生まれたからには、しょうがない

―鈴木厚人さんがリアルに感じる科学とはそもそも何ですか?

 難しいなぁ、そんなこと、言われたって(笑)。

 でも「科学」と言えば、「自然科学」もあれば、「人文科学」や「社会科学」もありますね。「科学」の前にいろいろな言葉がつきますから、必ずしも我々が研究している自然科学だけではないですね。すると科学とは、ものの道理を学ぶこと・突き詰めること、ではないでしょうか。

 「科学」って、何だろう?広辞苑で科学を引くと、「体系的であり経験的に実証可能な知識」とありますけど。うーん...でも我々のは、知識だけではないですね。「学」という文字がありますから、能動的行為もありますね。未知の事象の道理を求めることではないですか。

 そもそも「道理」って、何だろう?道理とは、ものごとがそうあるべき道、正しい道。そうですね、自然科学なら、自然の真理を探求する。人間科学なら、人間の真理を探求する。科学とは、そういうことではないですか。

―なぜ鈴木さんはそう思うようになったと思いますか

 科学は、普遍的なものだと思うから。先ほどお話したような細かい定義ではなくて、一般論として、科学は人間の営みなのですね。

―「人間の営み」とは?

 どうしても人間が逃れられない、いつも背中に背負っている疑問、というものがあるのですよ。しがらみのように、こびりつかれて、どうしても離れない疑問(笑)。それらを解き明かすのです。

 ハーバート・サイモン(米国のノーベル経済学賞受賞者、1916年-2001年)が言うように、宇宙の起源・生命の起源・物質の根源・心の働き。この4つの疑問は、人間が振り落とそうとしても、つきまとわれる疑問で、どうしても人間はそこに向かってしまう。これが「人間の営み」ではないでしょうか。

 「なぜ素粒子のような目に見えないものを、そんなに一生懸命やるのですか」とよく聞かれますが、「それは『人間の営み』、すなわちDNAに書かれているのですよ」と答えます(笑)

 「どうして?」と言われても、しょうがない。DNAに書かれていて、人間が絶対に逃れられないものだから。というわけで、最初に「科学とは?」と聞かれたとき、このことを思い出したのです。

―もう人間として生まれながらにある本性だ、ということですか?

 とりつかれてしまって、好かれてしまって、逃れられない。そういうものが、あるのですねぇ(笑)


■湯川博士や朝永博士に憧れて

―これまで研究してきた原動力も、ずっとそんな感じですか?

 いや、ただ単に、その日何をしたいかを考えているだけです。そんなに高等なことを、いつもは考えていません。

―1日1日は何をしたいか考えることの積み重ねだけど、後になって振返ると、「DNAに書かれている」という感じですか?

 そうですね、それもあります。けれどもその前に、我々の世代は子どもの頃から、湯川先生や朝永先生への憧れがあったので、あまりぶれずに、この道に来られたのでね。

―そもそも鈴木さんが研究者の道に進んだのは、湯川博士や朝永博士への憧れからですか?

 そうですね。中学生の頃に図書館へ行き、20巻ほどのシリーズの科学の歴史の本を読みました。ギリシャ時代に始まり、錬金術や産業革命、湯川先生やアインシュタインまで。「あぁ、こういうことをやってみたいな」と思ったのです。

―「こういうこと」とは何ですか?

 いろいろな物質は、何からできているのだろう?古代ギリシャ時代では、土・水・空気・火の4つでできている、と考えられていました。それが原子・分子になり、今では素粒子やクォークにたどり着いています。「僕もそういうものを研究してみたいな」と思ったのです。物質の根源:素粒子物理ですね。

―「物質の根源とは何か?」を知りたいと思って、今でもそういう研究をずっとしているのですか?

 今は研究をしてないです。「人が足りない、どうしよう」「お金が足りない、どうしよう」とか、今はそういうのばっかり(笑)

―やっぱり偉くなると、そういう意味では、寂しいですか?

 偉くはありませんが、しょうがないですねぇ(笑)


■素粒子物理って、シンプルなんですよ

―では、「物質の根源とは何か」を研究する中で、見えたものは何ですか?

 何も見えない、真っ暗闇ですよ(笑)

―それくらい、わからないものだ、という意味ですか?

 わからないと言うんじゃなくて、素粒子物理って、シンプルなのですよ。シンプルなはずが、そうではないので、先が見えないのです。

―どのような意味で「シンプル」と言っていますか?

 例えば、文学の研究では、歴史から、文明、民族など、すべてを知らないといけないですね。ですから昔は、文学の博士号を取得するには、年数がかかりました。

 一方、素粒子の場合、ドクター(大学院博士課程)を卒業する頃には、世界の研究はどの方向に進んでいて、何を狙っていて、どうすればすごい発見が期待できるか、皆わかってしまうのです。古い話を勉強する必要がないのです。また、進歩も早いです。

―けれども逆に言えば、皆同じ方向にむかって競争するから、すごく大変では?

 そうそう。問題は、世界中の人が同じ方向を向いているから、その中でどのようにして、大勢から抜け出るか、それが大変なわけです(笑)

―では、どうやって「大勢から抜け出る」のですか?

 如何に人より早く発見するか、その競争ですね。昔のことを勉強する必要がないから、若い人でも成果が出せます。


小林・益川理論を高エネルギー加速器研究機構(KEK)が実験的に証明した関係で、2008年ノーベル物理学賞の受賞対象になった論文がKEKに展示されている。

 湯川先生、小林先生、益川先生もそうですね。「小林・益川理論」の論文は、小林先生が28歳、益川先生が33歳の時に書いたものです。

 理論の業績を振り返ると、若い時の方が、いろいろなアイディアが出てくるように見受けられます。知り過ぎても駄目。知り過ぎるとそれに邪魔されてしまうから、知らない方がいいのかもしれない。

 それくらい素粒子物理は、ある意味では、とっつきやすいのだけれど、世界中の皆がとっつきやすいから、なかなか大変です(笑)


■自然は絶対に嘘はつかない

―鈴木さんは、理論ではなく実験ですね。なぜ実験の方に?

 まず一つは、成績が悪かったから(笑)。一般に成績の良い人は理論に行き、そうでない人は実験に行くのです。私もしかりで、実験に行ったのです。

 実験の良さは、実験を始めてしばらくしてから、わかりました。理論は、それが正しいかどうかは、自分ではどうにもならないわけです。実験で実証されなければなりません。

 一方、実験は、その実験方法が間違っていなければ、そこで得られる結果は、全て正しいのです。相手は自然でしょう?自然は絶対に嘘はつかない。自然から返ってくる答えは、全て正しいのです。

 そういう意味では、理論よりも実験の方が、単刀直入に真実に触れることができる、と感じています。

―鈴木さんは「自然科学とは自然の道理を探求すること」とお話されていましたが、実験という形で自然と直接関わることができるのですね。

 そう思います。実験が間違っていなければ、自然から言葉が返ってくるわけですから。「お前は俺をつついたな」と(笑)。すると相手は、「つついたことは、こういうことだよ」と、データに示してくれるわけです。

 もちろん間違った実験をしたら、自然も間違った答えしか、出してこないので駄目ですよ。自然は絶対に嘘は言わない。それが実験のおもしろさです。


■ニュートリノを突き詰めて

―これまで何度も実験を繰り返した結果、自然からいろいろな返事が返ってきたと思うのですが、それらを通して見えてきた自然は、どんな姿をしていたのですか?

 私は1980年頃からほぼ25年間、素粒子の一種「ニュートリノ」を研究してきました。東北大で博士号取得後、約6年間、KEKで加速器を用いた素粒子の研究をしていましたが、小柴昌俊先生から「今からカミオカンデの実験準備を始めるから来ないか」と誘われ、東大に行きました。

 小柴先生の助手になって以後、神岡で「カミオカンデ」実験(※)に携わってきました。後述するように最初に狙ったもの(大統一理論から予測される陽子崩壊)は検出されず、小柴先生が「太陽ニュートリノを検出しよう」と言って、ニュートリノの研究に切り替えたわけです。

※【カミオカンデ】神岡鉱山(岐阜県神岡町)の地下1000メートルの場所につくられた素粒子の観測装置

 その結果、超新星爆発で生じたニュートリノを世界で初めて検出し、小柴先生が2002年にノーベル物理学賞を授与されました(授賞理由:宇宙物理学に先駆的に寄与したこと、とくに宇宙からくるニュートリノの検出に対して)

 その後、カミオカンデは、太陽から来る(核融合反応で生成される)ニュートリノが少ないことを、世界で初めて実証しました(太陽ニュートリノ消失現象)。最初に太陽ニュートリノを検出し、消失現象を発見したのは、ノーベル賞を小柴先生と同時受賞した米国のレイモンド・デービス博士です。そして、約20年後にそれが正しいことを、カミオカンデが実証したのです。

 カミオカンデの後継としてつくられた「スーパーカミオカンデ」では、故・戸塚洋二先生が責任者で、私は副責任者の一人を務めました。スーパーカミオカンデでは、宇宙線(陽子やヘリウムが主成分)が大気に突入した際に生成する大気ニュートリノの観測数が、予測と異なることを発見し、ニュートリノに質量が存在することを突き止めました。超新星ニュートリノに次ぐ大きな発見です。

 このように超新星ニュートリノ・太陽ニュートリノ・大気ニュートリノを通して、だんだんニュートリノがその正体を現しはじめました。カミオカンデやスーパーカミオカンデが、その牽引者でした。

 そういうことを私はやってきたのですが、もっと違うことをやりたい、と思い始めました。スーパーカミオカンデが稼働しだすと、カミオカンデが不要になるので、これを再利用しようと考えたのです。

―「もっと違うこと」とは?

 カミオカンデを続けてきて、スーパーカミオカンデでできる物理が何かは、大体見通しが立ちます。そこで、スーパーカミオカンデではやれないことをやりたいと思い、東北大に戻りました。そして「カムランド」という、新しい実験を提案したのです。


■ようやく正体を見せ始めたニュートリノ

―「だんだんニュートリノの正体がわかってきた」ということは、それまで自然はあまり返事をしてくれなかったのですか?

 昔、ニュートリノ研究はこう言われていたのです。「Neutrino Physics learns from nothing」。何をやってもニュートリノからは何も返答がない、何かを測ろうとしても、見つからないのです。

 例えば、質量を測定しようとしても、当時の検出技術をもってして測れないくらい小さく、「それ以下」、「それ以下」、「それ以下」の結果が出るのみでした。ニュートリノは反応が弱くて、応答してくれないのです。ニュートリノは正体を見せない。けれども、そこまで応答しないのなら、「素粒子物理は、こうでなければいけない」ということを学んだのです。

 ところが、カミオカンデの頃から、実験装置が大型化し、さらに検出器の性能が向上してきました。そして、ニュートリノはようやく正体を見せ始めました。それらが、カミオカンデの超新星ニュートリノや太陽ニュートリノ、スーパーカミオカンデの大気ニュートリノ、カムランドの原子炉ニュートリノや地球ニュートリノの検出結果です。

 つまり、カミオカンデから「from nothing」じゃなくて、やっと「from finite」(有限値)になったわけです。ようやく「見つかった」「見つかった」「見つかった」のですよ。それくらい、日本のカミオカンデ・スーパーカミオカンデ・カムランドは、世界のニュートリノ研究の歴史を変えてしまった。今までは「nothing」から学んだけれども、これからは「finite」から学べる。良い時期に、ニュートリノ研究を始めることができました。


■ニュートリノは日本人が好きなんだ!

―それくらい日本の実験技術が進んでいる、ということですか?

 日本の実験技術が進んでいたことと、運がよかったのですね。運も実力のうちと言われますが。それに、カミオカンデ・スーパーカミオカンデを通して、研究者が頑張ってこれたのは、長年の様々な経験の蓄積があるからですよ。絶えず、検出器を改良して精度向上を図りました。次はこのニュートリノを狙おう、次はこれと。その辺が実験のおもしろいところですね。

 この秋につくばでKEK主催の「科学と音楽の響宴」があります。科学の講演の後に、音楽の演奏が続きます。今回の講演は私の担当ですが、そのタイトルが「ニュートリノは日本人が好きなんだ!」なんですよ(笑)

―日本人の前だけにニュートリノは正体を現してくれる、という意味ですか?

 そうそう。日本人だけにはいい顔して、外国人が実験するとなかなかいい顔しないんだよ、という話をしようと思うのだけど(笑)。この言葉は私が言ったのではなく、ドイツ人の友達が半ばあきらめ顔で、「ニュートリノは、日本人が好きなんだなぁ(笑)」って言ったのです。

 少し脱線するけれど、「科学と音楽の響宴」で毎回、冒頭に挨拶をします。ある時、どうして音楽と科学が響宴するのだろう?と考えたのです。そうしたら、おもしろいことに気づいたのです。

―どんなおもしろいことですか?

 科学は、左脳を使って、論理的な思考をする。音楽は、感覚的な働きを受け持つ右脳を使う。すなわち、科学と音楽の饗宴で、左右の脳が刺激されるわけです。そして大事なことは、科学的発見や発明は右脳が司るということです。

 それ以来、「普段、つくばの皆さんは主に左脳を使っていますが、今日は講演で左脳を、次に音楽の演奏で右脳を使い、その饗宴で頭の中を活性化して、明日には大発見ができるかもしれませんよ」と挨拶することにしています(笑)


■何も考えていない人がパッと浮かぶことはない

―これまで鈴木さんは、どんな時に右脳でひらめきましたか?

 我々は、"ひらめく"とかではなくて、常に、身近に起きるいろいろなことを考えているのです。自然がどうなっているか?というような、大それた話ではなく。

 例えば、「明日は、鉱山の中で実験準備だ」という時、一度トロッコで鉱山に入ってしまうと、当時はなかなか外に出てこれませんでした。ですから、途中で「しまった!忘れ物をした!」とか「予定を変更して別の装置を持ってこよう」としても戻れません。坑内の線路上を歩くことは禁止されています。どんどん予定が狂ってしまう。

 ですから前日に「明日は何をするか」を考えます。朝6時半に入坑して、夕方5時に出る間に、何をどうやるか?その日の作業手順を全て頭の中に叩きこむわけです。

 簡単な例で言うと、「明日はこのケーブルをトロッコで運んで、そこから実験室まで持って行き、そこからどうやって配線するか」を考えるわけですね。ケーブルを単にバラバラにほどいたら、猫と毛糸玉のように、絡まってしまうでしょう?そうならない方法を考えるわけです。

 新しいことではないけれども、やらなければいけないことを、常に考えるわけですね。そのような時にお風呂に入っていてボーっとしている時に、「あぁそうか、明日はこうすれば良いのだ!」ということが、浮かぶわけです。

 常に考えていないと駄目でね。何も考えていない人がパッと浮かぶことはないわけで、何かを考えているから浮かぶのです。それは小さなこともあるし、「これはおもしろいな」という物理の場合もあります。

 何も無いと、何も浮かばない。無から有は生じない(笑)

―鈴木さんは最初に「素粒子物理学は何をやれば価値か皆わかっている。問題はその中でどうやって発見するかだ」とお話されていましたが、日々の具体的な目的を達成するためにはどうすればよいかを常に左脳で考えて、パッと浮かぶ、その積み重ねなのですね。

 たまに右脳が、「ぷっ」とちょっかいを出して、良いことを教えてくれる時もあるわけですね(笑)。でも、左脳が働かなければ、右脳も働かないと思います。右脳だけでは、駄目でしょうね。音楽家は違うかもしれませんが。


■スーパーカミオカンデができないことをやりたい

―素粒子物理で何をすれば価値か見通しがあり、カミオカンデ・スーパーカミオカンデで何がやれるかもわかった。そして、それではやれない「こういうことをやりたい」というものが、その積み重ねの中で"パッと"見えた瞬間があって、カムランド実験にむかったのですか?

 研究目的は長い間考えた積み重ねですが、カムランドを建設する意義は"パッと"です。それは何かと言うと、天体観測用の望遠鏡には、光学望遠鏡、電波望遠鏡、赤外線望遠鏡、X線線望遠鏡等々がありますね。これらの違いは光のエネルギーです。

 光の呼び名はエネルギーが高くなるにつれて、電波、赤外線、可視光、紫外線、X線と変わります。先述の光を使う種々の望遠鏡が存在するということは、精度を極めて高性能にしようとすればするほど、検出できるエネルギー範囲が狭くなることを示しています。何でも測れる万能望遠鏡なんてないのです。

 とすると、カミオカンデ・スーパーカミオカンデが狙うエネルギー範囲と異なるエネルギーのニュートリノを検出するには、全く違った手法が要求されます。電波望遠鏡とX線望遠鏡が違うように。これが"その瞬間"です。

 カミオカンデとスーパーカミオカンデは水を使っているので、同じ方法です。スーパーカミオカンデは、水の量が20倍の大型になっただけ。新しい実験として私はおもしろくないと思ったのです。単に大きくなっただけだから。誰かがやればよいと思ってね(笑)

 そこで違ったことをやるなら、ニュートリノのエネルギーが違うところ、すなわちカミオカンデやスーパーカミオカンデでは不可能で、かつ、新たな物理の成果が期待できるところ、それがエネルギーの低いニュートリノ検出なのです。

 そこには、原子力発電所から生成される原子炉ニュートリノや、地球内部で生成される地球ニュートリノが大量に飛び交うエネルギー領域ですが、スーパーカミオカンデがひっくり返っても検出できません。それをやろうと思ったわけです。

 けれども、それを当時の文部省に理解してもらうのは難しかったですね。「スーパーカミオカンデと何が違うのですか?」「スーパーカミオカンデでもやれないのですか?」と聞かれるわけです。

 私の答えは「スーパーカミオカンデは水を使っていますが、カムランドは油を使っています。水と油は反発します。違うでしょう?」って(笑)。 「スーパーカミオカンデはニュートリノ検出が主ですが、カムランドは反ニュートリノが得意です。カムランドはアンチ・ニュートリノ(反ニュートリノ)です。違うでしょう?」(笑)

 もちろん、目指す物理が独自で特色あることも説明して、ようやく予算を認めてもらいましたが。

―エネルギーの低いニュートリノ検出は、ほかに行われていなかったのですか?

 エネルギーの低いニュートリノの反応能力は、ますます弱くなるため、ニュートリノの痕跡を検出することは難しいのですよ。逆にエネルギーが高いと、検出器に与える衝撃が大きく、検出しやすい。

 ですから、世界の研究者は、エネルギーの低い方に進もうとしないのです、難しいから。「それ、行け!」と、誰が先陣を切るかが問題だ(笑)。競争相手もいましたが、我々が突入したのです。


■なぜ「先陣を切る」ことができたのか

―なぜ鈴木さんたちは「先陣を切る」ことができたのですか?

 カミオカンデの当初の目的は、素粒子大統一理論の検証でした。この理論が予言する「陽子崩壊」が検出できればノーベル賞確実、と言われるくらいの大実験でした。

 すべての原子は、原子核と電子によって構成されています。そして、原子核は陽子と中性子の集合体です。ですから、陽子が崩壊するということは、すべての物質に寿命があることを意味します。物質はすべてそのうち崩壊してなくなるのです。

 けれども、心配する必要はありませんよ。陽子の寿命は10の30乗年と予想されました。今の宇宙の年齢は10の10乗年ですから問題ありません。でも当時はセンセーショナルで、世界中で漫画や週刊誌で取り上げられるくらい騒がれたのです。

 ところが、陽子崩壊は1年間の観測で検出されませんでした。その結果、陽子崩壊はもっと寿命が長いことがわかったのです。

 その翌年、小柴先生は「今度は太陽ニュートリノを狙おう」と提案されました。太陽ニュートリノは陽子崩壊現象よりもエネルギーが低いため、カミオカンデのエネルギー検出限界をもっと下げなければならない。これが大変で、苦労しました。

―特にどんなところが大変でしたか?

 水を綺麗にする技術です。水の中に微量に含まれている放射能を取り除くのです。水の中には、ウランやラジウム、ラドンが含まれています。含有量は自然環境放射能のレベルですが、ニュートリノ検出の立場からみると多量です。

 皆さんが飲む水の中にも、周辺の砂粒の中にも、太陽ニュートリノ検出から見れば、莫大な量の放射能が含まれています。我々が「美味しい」と飲んでいるミネラル・ウォータしかりです。

 むしろ私は、地上に生きている生物は、何らかの形で自然環境放射能を利用して生きている、と考えています。逆に、それに適応できた生物だけが地上に残り、適応しきれない生物は死滅したのでしょう。

 カミオカンデは、3000トンの水を蓄えています。そして、その中のウランの含有量は自然環境放射能レベルでも0.5gになります。これでは、ウランの自然崩壊連鎖から生じる、ベータ線(電子)やアルファー線(ヘリウム原子核)、ガンマー線がニュートリノ疑似反応を起こして、ニュートリノ検出を妨げてしまいます。それらが実験の邪魔をするので、取り除かなければいけないわけです。

 このような微量放射能除去作業をカミオカンデが世界に先駆けて行ったのです。私はこの作業の責任者として頑張りました。この時の経験から、ニュートリノ検出のエネルギー限界値を下げること、つまり検出感度を上げることに関して自信がありました。

 カムランドを提案した当時、世界の研究者が「無理だよ」と言ったけれども、「できるできる、大丈夫」と言い返しました。その時に、水を使わずに、油を使ったのです。


■カムランドが水ではなく油を使った理由

―なぜ水ではなく油を使うのですか?

 ニュートリノが水の中で起こす反応によって、「チェレンコフ光」という微弱な発光を伴います。この光を、「光電子増倍管」で検出します。一方、油に微量の薬品を加えると、「シンチレーション光」(蛍光)が生じます。

 同じエネルギーのニュートリノが生じるシンチレーション光は、チェレンコフ光に比べて、発光量は100倍もあります。すなわち、エネルギー検出限界値を、100分の1以下に下げることが、可能になるわけです。

 さらに、油は含有する不純物に"淡泊"です。

―"淡泊"とは?

 水は、放射性不純物を取り除くと、それらを取り返して元に戻ろうとする性質があります。ですから、蒸留水を飲んではいけないですよ(笑)。蒸留水というのは、イオンなどの含有不純物を取り除くでしょう?この蒸留水が胃に入ると、胃壁からいろいろなものを取り込んで、元に戻ろうとしますから。

 そういう意味では、飲むならミネラルウォーターの方が良いですね。ミネラルもウランも微量に含んでいるし(笑)。美味しいんですよ。

 一方、油は、不純物を取ったら取られっぱなしです。この意味で"淡泊"と言ったのです。油の中からウランやトリウムといった放射性不純物を除去することは、予想以上に簡単でした。そのためカムランドでは、検出器内の放射能レベルを、自然環境放射能レベルの10億分の1以下にすることに成功しました。

―他の人は「水ではなく油を使えば良い」発想自体がなかったのですか?それとも不純物を取って感度を上げる技術がなかったのですか?

 昔から小規模の油を用いた実験装置はありましたが、また、巨大タンクのニュートリノ検出器の構想は、一時期アメリカ人も提案していたのですが、なぜか実現しなかった。不純物を除去して検出器の性能を上げる技術は、現在、日本が一番進んでいます。

―油はどれくらいのサイズですか?

 500トン以上の巨大な実験装置を完成させたのは、カムランドが最初です。カムランドの成功によって、今はカナダで3000トンの検出器が建設中で、ヨーロッパでも5000トンの計画があります。なお、油を用いた検出器の正式名は、「液体シンチレータ検出器」です。

―「昔の油の小さな装置」は、どれくらいのサイズですか?

 一番最初にニュートリノの検出に成功(ニュートリノを発見)した米国のフレデリック・ライネス博士ら(1995年ノーベル物理学賞受賞、1918-1998年)が油を使いました。原子炉内の核分裂によって生じるニュートリノを発見した当時の油検出器は、1m×1m×1mくらいの1トンサイズでした。


■すべての原点はカミオカンデ

―「スーパーカミオカンデは、カミオカンデをそのまま大きくしただけでおもしろくない」の意味をもう少し詳しくお願いします。

 「おもしろくない」と言ったのはね、とにかく、すべての原点がカミオカンデにあったからです。カミオカンデで、超新星ニュートリノと太陽ニュートリノ、大気ニュートリノを検出する技術が培われ、沢山の研究成果が得られました。その延長線上にスーパーカミオカンデがあるのです。カミオカンデ当時の「ハラハラ、ワクワク」感を見いだせないのですよ。

―そもそもなぜニュートリノなのですか?

 太陽では「核融合反応」が起こっています。4個の水素が融合してヘリウム1個を作る過程で、ニュートリノが放出されます。星の中では、このような核融合反応が起こっていて、これが星が輝くエネルギー源なのです。

 宇宙に存在する物質の主成分は、水素です。水素が集まって、水素の雲ができます。水素雲は重力によって収縮し、中心の温度が上昇します。すると、核融合反応のスイッチが入るわけです。

 ですから、そのニュートリノをつかめれば、太陽の中で本当に核融合反応が起こっているのかわかるわけです。最初に、このことに着目したのは、米国のレイモンド・デービス博士(小柴博士と2002年ノーベル物理学賞を共同受賞)です。

 しかし、実際に観測された太陽ニュートリノの数は、理論で予想された数の3分の1しかなかったのです(太陽ニュートリノ欠損問題)。数が合わない原因は、ニュートリノの理解が間違っているのか、あるいは実験に問題があるのか、それとも我々は太陽を十分に知らないのか、長年に渡って議論になりました。そして、ほとんどの人は、実験が間違っているのではないかと思ったのです。

 ところが、カミオカンデはデービスのグループと全く異なる方法で、しかもより高精度で、かつ太陽から飛来するニュートリノかどうかを検知できる方法で観測したところ、やはり少なかった。予想量の2分の1しか、なかったのです。まずは、カミオカンデが「太陽ニュートリノ欠損問題」が正しいことを実証しました。

 次に、カミオカンデは、大気ニュートリノの観測において、「大気ニュートリノ異常現象」を検出しました。宇宙からやってくる宇宙線(主成分は陽子やヘリウム)が地球大気に突入すると、大気中の酸素や窒素と反応を起こして、ニュートリノが生成されます。

 ニュートリノは地球を突き抜けるほどの透過力があるので、四方八方から大気ニュートリノが神岡鉱山の地下にやってきます。大量にやってくるニュートリノのうちの、たまたまいくつかは反応を起こしてくれます。その結果を見ていると、予想と違ったのです。この結果は、「大気ニュートリノ異常」と呼ばれました。

 すなわち、カミオカンデでニュートリノに対する新たな知見が得られる現象が見つかったことが、さらに、"そもそもなぜニュートリノなのか?"なのです。

―予想とは違う現象とは?

 ニュートリノは、現在のところ性質の異なる3種類の存在が確認されています。このニュートリノに質量があると、ニュートリノが飛行中に最初にできた時の種類から別の種類に変わってしまうことが予想されます。これを「ニュートリノ振動」と呼んでいます。

 すると、大気ニュートリノがカミオカンデに入ってきても、最初の種類と異なる種類になっていると、反応の仕方が違うために反応率、すなわち大気ニュートリノ検出数が予想と異なることになります。

 この大気ニュートリノ異常現象をカミオカンデが初めて見つけ、次にスーパーカミオカンデが、その原因はニュートリノの質量に依存するニュートリノ振動であることを世界で初めて検証し、ニュートリノの質量発見の偉業を成し遂げました。このように、ニュートリノの新たな知見の源泉は、カミオカンデにあったのです。

 だから私は、カミオカンデが終了してスーパーカミオカンデに移行した時、もちろんスーパーカミオカンデのプロポーザルを書いたり、装置の設計や開発、建設を責任を持ってやりましたが、建設が終了してデータ収集が開始されたら、スーパーカミオカンデから「逃げよう」と決心していました。

 つまり、カミオカンデの続きの物理をやっても、おもしろくないな、って(笑)。もっと、新しいことをやりたかった。


■お釈迦様の掌の上から逃れたい

 それともう一つは、故・戸塚さん(スーパーカミオカンデ初代責任者、KEK前機構長)と神岡でお酒を飲みながら交わした話の中の、「お釈迦様の掌の上から逃れたい」ことが一因です。カミオカンデ当時は、小柴先生が教授、戸塚さんが助教授、私が助手でした。戸塚さんとはよく喧嘩をしました。いや、実験の上での喧嘩で、議論をしょっちゅうね。

 また、神岡で一緒によくお酒を飲みました。ある時、戸塚さんが「俺たち、どんなに頑張っても、孫悟空だな」って言うのです。「どんなに頑張っても、お釈迦様の掌の上から逃れられない」って。

―お釈迦様とは、もしかして...

 誰かというと、小柴先生(笑)。何とか小柴先生の掌から逃れて、自分で実験を立案し、結果を出したいものだって。私が、スーパーカミオカンデから離れて、カムランドを提案したのには、この時の戸塚さんのボヤキもありました。

―やっぱり掌の上では嫌ですか?

 そりゃあ、そうですよ。ゼロから全て自分でやってみたい、これこそ実験の醍醐味ですよ。

 でもね、カミオカンデでよかったことは、小柴先生はあまりぎしぎしと「あれやれ、これやれ」と言わないことでした。一回任せたら、完全に任せてくれるわけです。

 戸塚さんはまた、こんなことも言ってましたよ。「小柴研究室は失敗が許されない研究室だ」と。小柴先生は「それはおもしろいからやろう」と言って始めると、「君はこれこれを担当しなさい」、そして、週1回のミーティングで進捗報告を聞く。それだけ。それなのに、「失敗が許されない」独特な雰囲気があるのですよ。それが小柴先生のすごいところです。

 そういう雰囲気をかもし出すから、どこにいても、いつも先生に見られている感じがするわけです(笑)。けれども任せてくれるから、自分でいろいろなことに挑戦できるわけです。自分であれやってみよう・これやってみよう、って。

―では実際やっている調子としては掌という感じではないけど、ふと気づけばやっぱり掌の上という感じですか?

 何をやってもお見通し、という感じかな(笑)

―ではカムランドでも、ある意味で、小柴先生といる時と、変わらないところもありますか。

 いや、カムランドは小柴先生から離れて、自由自在にやりましたから、カミオカンデの時と違います。でも、先生は心配な様子で、遠くから見ていてくれたような気がしましたが。カミオカンデのように背後ではなく。


■消えた太陽ニュートリノの謎を解決

―それでは、お釈迦様の掌から逃れた感想はいかがですか?

 運が良かった。

―「運が良かった」とは?

 先ほども少しお話したように、ニュートリノは3種類あります。そして、もしニュートリノが質量を持っていると、ある種類のニュートリノが生成されてから、時間が経過すると他の種類に変わることが可能になります。繰り返しますが、この現象をニュートリノ振動と言います。

 カムランドは、ニュートリノの飛行距離/エネルギーによってsin関数的に種類が変化すること(まさに振動現象)を初めて示したのです。スーパーカミオカンデが検出したニュートリノ質量と異なるニュートリノ質量の証拠を突き止めたのです。それが偶然にも、ちょうど柏崎や浜岡などの原子力発電所の位置が、神岡を中心にして、約180kmのサークルの上に立地していたからなのですよ(※)。

※【参考】詳しい解説は下記をご参照ください。
原子炉反ニュートリノを用いたニュートリノ振動の研究(1)_KamLAND
原子炉反ニュートリノを用いたニュートリノ振動の研究(2)_KamLAND


―原発と180kmの距離が、なぜよかったのですか?

 ニュートリノ振動は、ニュートリノの飛行距離/エネルギーに依存するため、エネルギーの等しいニュートリノは、各原発から別々に生成されても、同じ距離のところでは同じニュートリノ振動を引き起こします。すなわち、原発までの距離が同じならば、神岡で一斉に振動を起こす(種類が変わる)ことが可能になります。

 もし(原発が)バラバラの距離にあると、エネルギーが同じニュートリノでも、飛行距離が異なり、ニュートリノ振動はまちまちで、信号が打ち消されることになります。このように、偶然に原子力発電所が神岡の周りにほぼ等距離にあったことが、ニュートリノ振動発見に結び付いたのです。

 さらに、原子炉ニュートリノ振動現象が、太陽から来るニュートリノ(太陽ニュートリノ)が減る、太陽ニュートリノ欠損現象を解決するニュートリノ振動と、ぴったり一致したのです。これはまた偶然にも、原子炉ニュートリノのエネルギーと180㎞の距離が、太陽ニュートリノの太陽内部で起こすニュートリノ振動と一致したのです。

―なぜぴったり"一致する"のですか?

 偶然なんですよ(笑)。太陽ニュートリノ欠損現象を、「太陽を使わずに地球上で検証できるなんて・・・」と、太陽ニュートリノの理論研究の第一人者のジョン・バコール(1934−2005年)は「自分が死ぬまでに、そんな実験ができるなんて思ってもみなかった」と雑誌に書いていました。それくらい偶然に偶然が重なっていたのですよ。

―本当に、偶然なのですか?

 偶然の偶然の一致ですよ(笑)


■最初は神岡でなく釜石につくろうと思った

―どこまでが狙ったところなのですか?

 もちろん、実験を計画する時は、あらゆる知識を導入して予測するわけです。太陽ニュートリノ問題を解明するには、原子力発電所のニュートリノを使えば、これこれの距離にある原子力発電所が使えるな、というように。日本で数箇所の候補地の一つが神岡でした。

―さきほどの孫悟空の話で言うと、場所的には"掌"に近いです。

 「逃げたい」っていう話?(笑)。もともと最初は、神岡ではなくて釜石(岩手県)でやろうと思っていました。釜石は東北大学から近いでしょう?それに、釜石の方が山が深いので、実験の邪魔となる宇宙線が地下に到達する頻度が少なく、条件が良いのです。

 私が視察に釜石へ行ったら、たまたまカミオカンデの実験場所を探しに釜石に行った時の現場監督の人が、所長になっていて。「あの時ニュートリノの研究を誘致すればよかった」って、言ってました。なぜかというと、神岡が一躍有名になってしまったから(笑)

 しかし当時は、富士製鐵と八幡製鐵が統合して新日本製鐵(新日鉄)になる時期で、富士製鐵の釜石製鉄所の現場は忙しくて、「そんなのかまっていられない」と言われました(笑)

 それで結局、釜石を断念して、2〜3検討したのちに小柴先生が昔、宇宙線観測の実験をしていた神岡に決めました。神岡の実験候補地は、土被りが少し浅いんですよ。本当はもっと深いところが欲しかったのですが。

 私がカムランド候補地選びに釜石に視察に行った時は、小柴先生と一緒でした。ヘマをするのではないかと思われたのでしょう。行きの電車の中で先生が、「実験の名前をつけてあげようか」と言うのです(笑)。「先生、いいです」と断りました。あくまでも、先生の掌から逃れたいので(笑)

―もし釜石につくったら、原子力発電所を使ったニュートリノ振動の実験はどうなっていたのですか?

 宮城県の女川原発が釜石から90〜100kmにあるので、結果論ですが、神岡よりももっとニュートリノ振動が強く起こり、良い成果が得られたのです。

―どっちに転んでも、狙っていたのですね。

 そうです。しかし、文部省(当時)は日本に地下の実験所を二か所も必要ないと言うのです。そこで、しぶしぶ神岡に決めました。どちらでも、実験名はKamLAND(カムランド)です。


■地球ニュートリノを世界で初めて検出

―それで先ほどのお話とつながるわけですね。

 もちろん、予測が外れる場合があります。むしろ、その方が普通ですから。太陽ニュートリノ欠損現象の解決策は、誰も知らないのですから。太陽のニュートリノは、ニュートリノ振動とは異なる原因で、地球に届く量が少ないのかもしれない。その場合には、原子力発電所からのニュートリノを検出しても、生成量と同じ数のニュートリノが検出されるだけで、何の変化もありません。

 そこで、原子炉ニュートリノ振動が検出されなくても、他の研究ができるように考えました。原子炉ニュートリノよりも、もうちょっとエネルギーが低い領域に、地球内部で発生するニュートリノが狙えます。地球ニュートリノはまだ、未発見でした。

―地球からのニュートリノとは?

 そもそも地球内部の熱源には2種類あります。一つは、地球形成期に隕石の衝突によって生じた衝撃エネルギーで、このエネルギーによって、初期の地球はどろどろの溶岩の塊のような状態でした。隕石の主成分は、酸素や炭素、ケイ素や鉄などです。

 その後、時間が経過するにつれて軽い物質は表面に残り、重い物質、例えば鉄などは地球の中心に沈んでいったと考えられています。地球の表面は次第に冷えて固まりますが、内部は衝突エネルギーがまだ残っていて、現在の地熱の半分を担っていると考えられています。このエネルギーが地球中心部の鉄の対流を引き起こし、地磁気を生み出します。

 地熱の残りの半分は、ウランやトリウムなどの放射性物質の崩壊によるものです。この熱源は大陸を動かしたり、火山の原動力を担います。

 これらの放射性物質は崩壊すると、ニュートリノを生成します(地球ニュートリノ)。地球ニュートリノをつかまえれば、先ほど述べたことが本当かどうか、また鉄はウランやトリウムと相性が悪いため、地球中心には存在しないと考えられていますが、これが正しいのか。地球形成と地球ダイナミックスの実証ができます。この地球ニュートリノを、カムランドは世界で初めて検出しました。

 地球ニュートリノは、先ほどお話した原子力発電所で生成されるニュートリノよりも、エネルギーが低いのです。もし原子力発電所からのニュートリノ実験の狙いが外れても、こちらがある、それを狙ったわけです。


■3つの狙いすべてが当たる

 さらに、もう一つの狙いがあるのです。全部で3つ用意しました。これがだめだったらこれ、さらにだめだったらこれって。しかし、三つみんな、当ってしまいました(笑)

―3つ目の狙いは?

 太陽の核融合反応には、いろいろな反応の過程があります。そしてこの反応過程の中の4種類の反応からニュートリノが生成されます。それぞれのニュートリノが持つエネルギーは異なります。先ほどもお話したように、カムランドは太陽ニュートリノが減少する理由を、原子力発電所からのニュートリノを検出することによって実証したのです。

 次に、太陽ニュートリノ減少の原因が解明されれば、今度は、いろいろなエネルギーの太陽ニュートリノを検出することによって、太陽の中で核融合反応が確かに起こっていることと、核融合反応の詳細がもっとわかってくるわけです。太陽は一般的な星(恒星)ですから、星の一生のメカニズムが理解されるわけです。

 そこで、カミオカンデやスーパーカミオカンデで検出されたニュートリノよりも、もっとエネルギーの低い太陽ニュートリノをつかまえようと狙いました。それも捕まえることができました。

 でも、我々よりも先に見つけたグループがいたので、我々の方はあまり注目されなかった。しかし、一応、狙ったものは捕まえた。こんなにうまくいく例は、滅多にないですよ。

 これまでのニュートリノ実験は、「nothing、nothing」でね。なにを狙っても「あぁ見つけることができなかった」って。しかし、研究者は繰り返し、繰り返し、実験精度の向上に努力してきたのです。約50年間も。この努力が実って、カミオカンデ以降は、まったくニュートリノ研究の様相が変わりましたね。でも、なぜこんなに次から次へと(笑)

―なぜこれだけ「次から次へと」?

 知りません(笑)。ドイツの友人は、「ニュートリノは日本人が好きなんだ」と言っています(笑)

―世界中が皆、狙っているわけなのに、なぜできるのですか?

 皆、ニュートリノの正体を暴こうと狙って実験しているのに、本当に偶然ですよ。カムランドで、原子力発電所からのニュートリノ振動の発見、地球からのニュートリノの初検出と、多くの研究者が驚いていました。

 特に、地球から来るニュートリノを検出する可能性は、1935年にジョージ・ガモフ(1904-1968年、アメリカの理論物理学者)によって提唱されたので、発見には70年を費やしたわけです。

―70年間近くずっと検証できなかったのですね。

 地球からニュートリノが来ていることは、予測はしていたけれど、それを捕まえる手段を持たなかった。

―鈴木さんが「手を出せた」のは、それくらい検出感度を上げる技術と自信があったからですね。

 カムランド・グループの研究者の努力によって、エネルギーの低いニュートリノを検出できる技術が開発された賜物です。人ができないことをやろうとすると、予想以上の結果が生まれる良い例だと思います。


■定年者のニュートリノ物理学

 エネルギーの低いニュートリノをつかまえる究極の実験があります。ノーベル賞確実な実験ですよ。

 今、目の前の1立方cmあたりに、約110個のニュートリノが浮かんでいます。宇宙ができてから1秒後の宇宙を飛び交っていたニュートリノが、その後の宇宙膨張によってエネルギーをどんどん失い、137億年の現在ではほとんど物質と反応しないくらいになっています。これを「宇宙背景ニュートリノ」と呼んでいます。

 反応力が弱いから、つかまえることが難しいわけですね。それをつかまえることができたら、大発見です。すなわち、我々の知見が、宇宙創成の1秒後までさかのぼることができるわけですから。ノーベル賞間違いなしです。でも、これの実験は、定年後の人がやる実験なのですよ。

―それだけ難しいということですか?

 そう。現役時代に手を出したら一生、なんの成果も出ないこともありうるわけですから。「定年者のニュートリノ物理学」と言われる所以です。小柴先生も定年後の一時期、宇宙背景ニュートリノ検出器を考案されました。私も誘われたのですが、逃げました(笑)。でも私は、そのうち挑戦しようと思っています。アイディアがあるのですよ。

―どんなアイディアですか?

 それは、湾岸戦争の時に、テレビを見ていて思いついたのです。パトリオット・ミサイルというのがあったでしょう?敵のミサイルを迎撃する装置です。こころは、ほとんど止まっているニュートリノを、つかまえようとしても難しい。それなら、こっちから迎撃したらどうか。ニュートリノを動かす、エネルギーを与えるわけです。そのような加速器をつくったらどうかな、と思っているのです。

 例えば、電子を大量に打ち込んで、ニュートリノを動かすのです。動かせばエネルギーを持つから、反応してくれるでしょう?

 定年になってから、年齢的にはもう定年になっているけれど。今の仕事が終わってから、ゆっくりと考えようと思っています(笑)。その時は、宇宙背景ニュートリノ検出器に、"パトリオット"と名付けますよ(笑)

―名前がちょっと怖いですね...。でも、アイディアがあっても、すぐにできるものではないんですね。

 やれないですよ。いつか考えますよ。最新の超伝導加速空洞を改良すればテーブルの上で実験できますよ、大丈夫(笑)

―たとえアイディアを公言しても、他の人はやっぱり真似できないですか?

 いやいや、別にやったって構いませんよ。あとはアイディアの問題、どういう実験装置をつくるかなんですね。私はあちこちで公言しています。特に酔っ払うとね(笑)。別に私がやらなくてもいいわけで、誰かがやってくれればよいのです。そう簡単にできっこないって思うから(笑)。逆に、公言して、相手が興味を示してヒントを出してもらった方が、ずっとよいですよ。

―鈴木さんがミサイルみたいですね。

 そうそう。相手にちょっかいを出すところが(笑)


■毎日が新しい日

―結局、話を聞けば聞くほど、半分は納得した気分になるけど、半分は不思議な気分が残っている感じがします。

 ははは(笑)、納得されては困る。こっちは50年もやっているのですから。たびたび講演の後に「先生の話は聞いている時はわかった気がしましたが、講演が終わったら、結局はわからない」と言われます。私は「それでいいんですよ」と答えています。

 わずか40分か50分の話を聞いて、「わかる」と言われたら、あなたに教授のポストを与えますよ、こちらは何十年もやっているんですから、って(笑)

―「素粒子物理学は今、何が重要なのか研究者は皆わかっている。問題はその中で、いかにしていち早く、発見に至るか」「日々これ目的を達成するために常に考えて、ある時は、お風呂の中でぱっとアイディアが浮かぶ」というお話から、日々の積み重ねのすごさを感じました。

 神岡鉱山でカミオカンデの実験装置の建設をしていた時は、本当に毎日、毎日が、日々これ新たなりなのです。鉱山の中に3000トンの巨大な水タンクを備えて、絶えず水を綺麗に保つ必要がありました。ニュートリノが水タンクに入ってくると、電子と反応して電子が蹴っ飛ばされ、「チェレンコフ光」という光を出します。


KEKに展示されていた20インチ径光電子増倍管

 けれども、水の透明度が悪ければ、光電子増倍管という光センサーまで、チェレンコフ光が届かない。だから、水を限りなく綺麗にしないといけないわけです。小柴先生から、世界一透明な水を作るように命令されましたが、そのようなことは、今まで誰もやったことがないのです。

 光電子増倍管にしても、世界最大のものです。この開発にも携わったけれど、こんなに大きなものを一体どうやってつくるのか?まったく見当がつかない。

 これらを思い当たることから「ああしたらいい」「こうしたらいい」と考え、調べながら前進するわけです。だから、開発が終わってみると超純水製造メーカの誰よりも、私の方が水を綺麗にする方法を知っていますよ、と自負できるくらいになりました。それくらい勉強しましたよ(笑)


■単に対象が違うだけで、思考方法は全く同じ

 坑内の電気配線一つにしても、すべて研究者が配線手順、接続の仕方を考えてやるのですよ。程度の差こそあれ、常に未知の課題に挑んでいました。

―そんなところまで研究者が自分でやるんですね

 そうですよ。本職の人が見たら、そんな方法ではダメだと怒られるかもしれないけれど。実験屋は、実験期間中、無事に動けばよいと考えて、できるだけ安価に、早くしようと自分でやるのです、何一つ。

 例えば、プレハブ住宅って、あるでしょう?これを、まずは屋外の実験室として使用し、次にこのプレハブをばらして神岡坑内へトロッコで運び、組み直して再度実験室の一部として使用することを計画しました。でも、そんなプレハブ、どこにもないですよ(笑)

 普通のプレハブは強度を出すため、ピンを十分に打ちます。けれども、それでは分解する時が大変なので、業者の方に「やめてくれ、とりあえず仮留で良いから」と言って。その後の作業は、全て研究者や学生がやるわけです。

 大工仕事もやるし、電気配線もやるし、全部やる。実験屋って、何でもやるのです。だから何でもできますよ。いつ失業しても、食べていける(笑)。

―そういうものの積み重ねが全部、実験結果に効いていくのですね。

 結局、必要は発明の母なのですよ。「これをしなければならない」ことは、考えてやる。その一つひとつの積み重ねです。それが、例えばプレハブを組立・分解・運搬・組立という一見、単純な作業なのです。

 それと、研究でこの物理の問題を、このような方法で、このような実験施設を作って、調べてみよう、と考えをめぐらす時に使う頭の場所は、多分、同じなんだと思います。単に対象が、プレハブかニュートリノなのか、と。思考プロセスは同じなのです。


■「今が大切」の積み重ね

―目の前に見えているものが全部、大きな目的に向かって、つながっていくのですね。その対象は、プレハブであろうと、ニュートリノであろうと、全部同じ、という階層まで行くんですね。

 そうですね。だから、若い人によく言っていることがあります。仕事に行き詰ってくると、「こんなことをやっても、この先これが生かされるかどうか、私にはわかりません」と言う人がいます。その時、本多光太郎先生の「今が大切」を言って聞かせます。「今を一生懸命、たとえプレハブのことかもしれないけども、それを一生懸命やれば、いつかは必ずそれがどこかで使えるから、生きるから」。

 将来どうなるかなんてわからなくても、今を一生懸命やる、そして、その積み重ねが多ければ多いほど、よいのです。対象が違うだけであって、思考方法は全く同じなんだから。

―プレハブをゼロから組み立てるという、一見すると研究に直接関係なさそうなものも、単に対象が違うだけで思考方法は全く同じ。それで本当に全部、緻密に積み重なっていった結果、皆がやりたいけどやれないことをやれて成果を出せるんですね。

 そうです。そして、経験からいうと、そういうことをやっている人は、仕事にせよ、研究にせよ早いのです。このような思考を実際に経験していない人は、やろうとしても、まわりくどい。最初に構えてしまって、これを調べて・あれを調べて・これをやってと、頭の中だけで考えて、堂々巡りをしている。それに対して、思考回路が形成されている人は、まずすぐに手足が出る。「じゃあ、こうしよう」という一歩の踏み出しが早い。

 さらに大切なことは、そういう経験があると、自信になるのです。「あぁ、こういうことができた」って。「おぉ、自分でもできるじゃないか。自分もまんざらじゃないな」って思うわけです(笑)。

 このような経験が多くなればなるほど、「自分は、こういうことができる」「じゃあ、次はこういうことをやってみよう」という自信につながります。

―最後に、今までのお話を踏まえて、中高生も含めた若い世代にメッセージをお願いします。

 本多光太郎先生の「今が大切」です。今やっていることを、一生懸命やりなさい。スポーツも勉強もです。「この勉強をしたら、何か役にたつのか?」とか、「先がどうなるのか?」とか考える心配はいりません。今やっていることを一生懸命やれば、いつかそれが、いろんな場面で役に立ちます。


■先のわからない研究も、車の両輪のように必要

―最後と言いつつ、今のお話との関連を伺いたくて質問するのですが、鈴木さんが先日の東北大学理学部開講100周年記念式典講演会の時、「役に立つことを前提にすることは役に立つことを萎縮させる」と仰っていたことが、とても印象に残っています。

 それは、先(出口)を決めてしまうと、その出口に行かざるを得ないわけです。そうではなくて、いわゆる応用研究でよく言われる、すぐに役に立たず、「死の谷」に一端は落ちても、そこから這い上がってくる研究は、我々の想像を絶するような応用の広がりを見せることがあります。

 例えば半導体やレーザーは、もともと基礎研究でした。もっと応用とかけ離れた基礎研究に、相対性理論や量子力学があります。今ではこの二つの理論は、社会や産業のあらゆるところに生かされています。

 しかしながら、昨今はほとんどの研究に、「役に立つ出口指向」が求められています。「役に立つ出口」が踏み絵となっています。これでは、最初から我々の予想以内の役に立つ成果しか出てこないですよ。死の谷をまたぐ橋が少々増えたくらいで、イノベーションにはなりません。

 死の谷に落ちて、役に立つという当初の出口指向の意味で見たら「死んでしまう」ものはたくさんあります。しかし、半導体やレーザーのように死の谷を這い上がって、応用に大きな花を咲かせる研究もあるのです。これこそ、イノベーションです。このような研究を増やすには、たくさん死の谷に落とさなければいけない。

 ですから、先がわかっている研究もいいけれど、先のわからない研究も推奨する、車の両輪のように、双方の研究を積極的に推し進める姿勢が重要です。

―先の見えるものの方がまわりからの理解も得やすいし、必要なことではあるけれども、一方で、その目的に最適化して「出口指向」になると想定内のものしか得られず、本当はあった可能性まで削ってしまう危険性もあるのですね。中高生の頃で言えば、少し入試と似ている感じもします。

 目的がはっきりしていて、それに対して何かしなければいけないことがあります。そのような場合は、目的の橋を架ければよいわけです。しかし、そのようなことだけでは駄目であって、ある意味では、束縛と自由が必要と言い換えてもよいかもしれません。

 確かに、先が見えるものは理解を得やすい面があります。研究サポートも得られ易いでしょう。しかし、社会に役に立つ飛躍的な発展は、先が見える研究からは出にくい。多くの先の見えない研究にも、補助がなければできない。

 出口の見える研究においても、「今が大切」です。その出口に向かっていくためには、死の谷をまたぐ曲がりくねった橋や、まっすぐな橋、縄梯子のような橋等、様々な橋があります。最初からどのような橋かは誰もわからない。まさにプレハブをつくって壊して、また元通りに坑内に建てるためには、どうすればいいかを考えるのと同じで、いろいろな方法がある。常に考える習慣をつけなければいけません。


■学問の自由と大学の自治

―最近、社会の縮小化に伴って、社会全体が目に見えやすい出口に最適化して、それ以外のものはすべて削ってしまう傾向が強くなっていると感じています。

 そういうことを求めることが多くなってきていますね。無駄を省いて、最も安く、早く目的を達成しようとしている。このようなやり方では、その場はしのげますが、お先は真っ暗で、打つ手が生まれない。その場しのぎの手法です。

 ある会社のトップと話をした時に、「今は、会社で開発研究など必要ありません」、「世界中を見回して、使える技術、手法、原材料を総動員して、新製品を作ります」。これが現在の日本の一面を表しています。

―そのような流れに対して、どうあるべきなのでしょうか?

 うーん、「大学の自治」の重要性を認識することでしょうか。「学問の自由と大学の自治」とよく言われます。「大学の自治」は、どちらかと言えば教授会ががっちり守って、治外法権特区を作ることのように思われますが、本来の意義はそうではなく、「学問の自由」を確保するために、「大学の自治」があるのです。大学が勝手にのほほんと暮らすための自治ではないのです。

 政治情勢、経済情勢、時の権力体制によって、「こうしろ、ああしろ」、「こういう学生を育てろ」とか、大学へ要求が強まります。「税金を使っているだろう」と。しかし、税金を使っているがゆえに、国民・社会に貢献する「学問の自由」を確保するために、「大学の自治」があるのです。

 先程お話したように、学問には、縄ばしごをかける出口の見えるものだけではなく、死の谷から這い上がるようないろいろなものがあります。しかし、そういった学問ほど、外から見ると「そんなわけのわからないことをやって、将来何の役に立つのだ、やる必要なし」という外圧が押しかけます。

 役に立つことが最初から明らかな研究、出口指向の研究重視の世の中で、今こういう時勢になればなるほど、「学問の自由とそれを守る、大学の自治」が重要になるわけです。

 問題は「大学の自治」と言っても、大学の中を透明にしなければいけません。例えば人事や予算の使い方が国民・社会から監視される仕組みを作ってこそ、「大学の自治」が保障されます。そこを閉じてしまったら駄目ですよ。

 例えば、昔から教員人事でよく言われるのは「ドブ川の泡」。ドブ川の底から小さな泡が生まれ、ぶくぶくと川面に立ち上るにつれて泡は大きくなる。すなわち、同じ大学で助手から助教授、助教授から教授のように。それでは駄目で、水を綺麗にして誰からも評価されるような人事をしなければいけません。

 どこから見ても、確かに、人事も予算使用も的確に行われている。それと引き換えに「大学の自治」が認められて、「学問の自由」が得られるのです。「学問の自由」がなければ「社会の自由・発展」はないでしょう。

 その意味では今、政府や経済界からの「縄はしごかけ研究」の外圧に対して、もっとも踏んばらないといけない。大学が頑張らなければならない。


■日本とは何かを知らずに、世界はわからない

―では、これから日本はどうなると思いますか?

 難しいですねぇ。私はfortune-teller(預言者)じゃないですから(笑)。でも、ある意味で、日本は今、良い試練だと思うのです。

 なぜと言うと、我々の子どもの頃は、科学者の名前なんて、湯川先生くらいしか知らなかった。それより、文学者や経済学者、政治家といった人たちが、新聞や論壇をにぎわしていたのですよ。

 それが日本の経済が発展するにつれて、もの社会、消費社会が謳歌して、思想や哲学は影を潜めるようになった。とにかく、資源は無限、ものを作っては捨てる。そして、文学者や哲学者に代わって、技術者や科学者が、新聞に書き立てられるようになった。

 しかし、本当はそうじゃないと思います。文学者、経済学者、政治学者といった人達が社会のオピニオンリーダーにならないといけない。ところが、今の日本はそうではないけれども、これからの日本はそうなっていくでしょう。文化や文明、社会に関心を持つ、日本文化や文明とは?日本の歴史とは?どれも大事です。

―なぜこれからの時代、文化や文明が大事になると思いますか?

 なぜかと言うと、世界のグローバル化が進めば進むほど、我々は世界と向き合い、世界の人たちと接する機会が増えます。世界と付き合うためには、世界を知らなければいけません。世界を知るということは、結局、日本とは何かを知り、その上で世界の国々との違い、共通を知らなければならないのです。

 日本の文化・文明と世界のそれを対比させて、相手と我々の考え方は、どんなところが異なっていて、どんなところが同じなのか。それがわからなければ、グローバル化社会の中で、話ができないのです。

 そういうことを最近、身近に感じています。KEK(高エネルギー加速器研究機構)とCERN(欧州素粒子・原子核研究所)、Fermi Lab. (米国フェルミ国立加速器研究所)が中心となり、世界の素粒子物理学の実験研究を先導していますが、いろいろな意味で、日本の発言に重みがかかります。

 大きな国際会議の後の研究成果報告の記者会見の場では、CERN、KEK、Fermi Lab所長の3人が、常に指名で呼ばれます。また、世界の研究者が協力して大型プロジェクトを推進する計画を練る段階では、KEK、すなわち日本の意向が重視されます。

 このような時に、自分のこと、日本のことばかり発言しても意味ありません。世界の中の日本の位置づけ、立場、日本の情勢を考慮して意見を出すことが求められます。そこで重要になることは、結局、日本とは何か、過去・現在・未来の日本とは?を理解しなければいけない、ということです。

 そのような意味で、大学における教養教育(課程)の復活は重要です。それは単なる教養のための教養ではありません。グローバル化の中で世界と向き合うために、理系の学生にとっても、文学や哲学、社会学、心理学、経済学、政治学が必要なのです。そのための教養課程の復活です。グルーバル化世界の中で、口を閉ざしていては、日本は相手にされません。

 グローバル化の中で、日本が言っていることに「それは正しい、そうすべきだ」と世界が認めるようになるには、そのような素養が必要です。単に物理だけできても駄目なのです。

 経済力の低下とともに、日本がちやほやされた時代は過ぎました。その一方で、日本の本来の良さが、逆に目立ってきました。何度も言いますが、今は試練の時期です、良い試練だと思います。この試練を経て、グローバル社会の中での日本の指導力が発揮できるでしょう。

―鈴木さん、ありがとうございました。これから、KEKの見学をさせていただきます。


■【見学記】KEKを見学しました(文責:大草芳江)


地下11mに掘られた1周約3kmの巨大な円形の加速器「電子・陽電子衝突型加速器」の一部

 高エネルギー加速器研究機構の広報室や各研究施設の皆さまにご案内いただき、KEKの施設見学をさせていただきました。まず驚いたのが、敷地面積の大きさです。ここKEKつくばキャンパスの面積は、東西1km、南北1.5km、面積は約153万平方m、東京ドームで言うと33個分もあるそうです。この敷地内に、地下11mに掘られた1周約3kmの巨大な円形の加速器「電子・陽電子衝突型加速器」や各種実験装置があり、素粒子物理や物質構造などの研究が進められています。

 そもそも素粒子とは「もうこれ以上分けられない粒子(物質の最小単位)」という意味ですが、古代ギリシャでは物質は「原子(atom:ギリシャ語で「もうこれ以上分けられない粒子」)が最小単位だと考えられていました。けれども原子は、電子と原子核に分けられ、さらに原子核は陽子と中性子からなることを、私たちは学校で習います。


クォークの世界をインタラクティブに体験できる展示「ワンダークォーク」

 さらに陽子や中性子は「クォーク」という素粒子に分けられ、それが6種類あると予言したのが、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林・益川理論です。クォークは6種類あると考えると、「CP対称性の破れ」という素粒子の世界の大きな謎の一つをうまく説明できるそうです。展示ホールには、宇宙に同数生まれたはずの粒子と反粒子から反粒子が消えていく様子を表した(CP対称性の破れ)展示などもありました。


ノーベル物理学賞賞状(複製)。二羽の鳥は、対称性の破れの結果、誕生した宇宙の自然の一コマを描いている。

 ここKEKの加速器を用いた実験(Belle実験)が小林・益川理論を実験的に検証した関連で、研究施設や展示室には、小林・益川理論の論文やサイン、ノーベル物理学賞の賞状やメダルのレプリカなども展示されていました。ちなみに、小林・益川理論の論文は全6ページ。しかも内容の大半は「クォークが4種類存在するモデルではなぜ駄目なのか」を説明するもので、最終ページのたった数行だけが「だからクォークは6種類存在するモデルでなければならない」と書いてあるそうです。


研究室隣の展示室で見学した加速器の一部

 さて、ここKEKの「電子・陽電子衝突型加速器」ではどんな実験が行われているのでしょう。この加速器では、電子と陽電子(※)を衝突させて、ミニ・ビッグバンを人工的に創り、そこから生まれる大量の「B中間子」と「反B中間子」という粒子を詳しく調べているそうです。B中間子と反B中間子のペアを工場のように大量に創り出しているので、この実験は「Bファクトリー(B中間子の工場)」と呼ばれています。

※お馴染みの「電子」も素粒子の一つです。電子はマイナスの電荷を持っていますが、電子のちょうど反対の性質を持った「陽電子」というものがあり、こちらはプラスの電荷を持っています。

 この加速器では、電子と陽電子が2つのリングの中でそれぞれ光速に近いスピードで逆方向にまわり、それが3kmごとに1箇所(その的の大きさは4μm)で衝突されるよう設計されており、その衝突性能は世界一なのだそう。今回、衝突点近くに設置された測定器(Belle測定器)を見学させていただきました。こちらの測定器では、できた素粒子を立体写真のように撮影することができるそうです。このBelle測定器によって、2001年、B中間子の壊れ方に「CP対称性の破れ」があることが発見され、小林・益川理論が実験的に検証されたというわけです。


Belle測定器でチェレンコフ光検出器として使用されている「エアロゲル」

 Belle測定器は、いろいろな種類の検出器を組み合わせてつくられているそうですが、このような「エアロゲル」という素材も使われていました。触ると発泡スチロールのような感触ですが、不思議なくらいに大変軽くて、触っているうちにベトベトします。断熱性が非常に高く、分子構造は非常に低密度ですが、発泡スチロールのように空気は入っていないそうです。Belle実験では、エアロゲルの中を荷電粒子が通過するとチェレンコフ光が発生することを利用して、荷電粒子の識別に使っているそうです。



フォトンファクトリーの一部

 このほか、放射光科学研究施設(こちらは「光の工場」とのことで愛称「フォトンファクトリー」)も見学させていただきました。加速器から発生する明るく波長の短い光「放射光」を利用することで、原子スケールで物質や生命を観察できる施設です。全国各地から毎年三千人以上の共同利用者がここで実験をするため、科学者同士のコミュニケーションの場にもなっているということでした。


■【見学後の懇談から】
誰も知らないことは、楽しいこと

―まず実験装置の大きさに驚きました。加速器の円周は3km、検出器もビル2階くらいの高さがあるのですね。あんなに小さなものを扱うのに、それを測定するための実験装置はあんなに大きいのですね。

 それはなぜかというと、素粒子の世界では、日常のニュートン力学が成り立ちません。量子力学という力学が必要です。量子力学においては、すべての物質は、波と粒の両方の性質を持っていると考えます。

 朝永先生の「光子(こうし:みつ子)の裁判」という本があります。うたた寝をしながら先生が夢を見ている場面から話が始まります。夢の中で光子の裁判が始まります。

 この建物に窓が2つあります。光子さんは「両方の窓を通って中に入った」と主張しています。しかし裁判官は「そんなことはできるはずがない」と言いかえします。どちらか片方の窓だろう、と。しかし光子さんは「いや、両方から入りました」。

 光子さんは、粒の性質も持っていますが、波の性質も持っているので、両方から入れるわけです。波の波面は、建物の2つの窓から入って、干渉縞をつくるでしょう。光子さんと裁判官のやり取りによって、量子力学の世界を説明するのが朝永先生の「光子の裁判」です。

 このように、素粒子の世界では粒子は、波の性質を持つのです。電子を加速して、物質の細部を調べる電子顕微鏡を思い出してください。小さなものを見ようとすると、電子のエネルギーは大きくしなければなりません。たくさんのエネルギーが必要なのです。

 なぜかと言うと、波だから、(波のジェスチャーをしながら)こうでしょう?例えば、ある大きさのものを見る時、それより波長の長い波では見えないけれど、それより短い波長の波なら見えるわけですね。そして、短い波長の波を作るにはエネルギーが必要です。

 例えば、向こうの壁に紐を結んで揺すると、波長の大きな波は簡単にできるでしょう?けれども、波長の小さな波をつくろうと思ったら、早く手を振らなければならない。エネルギーを費やしなければ短い波長の波は生じません。

 ですから、電子にたくさんのエネルギーを与えてやることで、小さなものが見えてくるわけです。そして、小さなものを見るためには、たくさんのエネルギーが必要なので、大きな装置が必要なのです。

―それでいて、目に見えない世界のサイズをコントロールできること自体、自分にとっては奇跡のように感じられました。でも制御できるんですね。

 できますよ。現在、KEKでは、次の実験にむけて大きな電子・陽電子衝突型加速器と粒子検出器の建設が進められています。電子の束と陽電子の束を衝突させるには、ナノメートル・サイズで電子と陽電子の軌道をコントロールする必要があるのです。

 ところが、月と地球の引力によって生じる潮汐効果で、地球が膨らんだり縮んだりします。それがミクロン・サイズなのです。これまでの加速器において、電子軌道と潮汐効果の相関がきれいに観測されています。

 また、鹿島灘(茨城県の海沿い)に打ちあげる波も地面を揺すりますが、海岸から〜50㎞離れたつくば市では、ナノメートル・サイズの地盤の変動をもたらします。潮汐効果は月と地球の運行から制御が簡単ですが、海岸に打ち寄せる波は予測不可能です。それでも、研究を行うには制御しなければいけないのですよ。

―遠くの月の満ち欠けや波の影響まで受けるとは驚きです。そんなに小さなずれを、どうやって軌道修正するのですか?

 電磁石を使って電子の軌道を制御します。電子が通ったという情報を、前方の電磁石に教えて、電子が到着するまでに電磁石の位置を修正します。その情報をさらに前方の電磁石に教え、これを繰り返します。

―それをナノメートルスケールで制御できるなんて驚きです。

 それくらいできますよ(笑)。そういう仕掛けの検討は、企業の方々は勘弁してくれと、お手上げです。研究者が考えるわけです。これまでに繰り返し言いましたが、研究者は何でもやるんですよ(笑)

 必要だから、自分たちで考えるわけです。それを意外な方法で解決したりね。誰も知らないということは、楽しいことなのです。

―鈴木さん、本日は長いお時間、本当にありがとうございました。



鈴木 厚人さん(高エネルギー加速器研究機構 機構長)