活躍する泉萩会会員

三田 常義さん

昭和55年物理学専攻博士課程修了
三田 常義さん

【現在】三田農園、みんなの放射線測定室「てとてと」
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1952年、静岡県三島市生まれ。1975年東北大学理学部卒業、1980年東北大学理学研究科博士課程を修了。1980年東京大学理学部助手、専門は光物性。1983年6月退職、宮城県村田町に移住し有機野菜栽培農家となり以後30年、村田町、蔵王町の畑1.5haを耕作、現在に至る。今回の福島原発事故後、影響を見定めるため営農を一時中断し、もっぱら放射能対策に専念、農家仲間と一緒に民間の放射能測定施設「てとてと」を始めた。

 今回訪問した会員は、民間の放射線測定施設「てとてと」(柴田郡大河原町)の運営委員を務める、初代代表の三田常義さん(三田農園)です。三田さんは、本学理学研究科物理学専攻で博士号を取得後、東京大学理学部物理系学科の助手を経て、農家に転身された方です。11月23日で1周年を迎えた放射線測定施設「てとてと」は、東京電力・福島第一原発事故を受け、県南で有機農業に取り組んでいる農家などが中心となって昨年オープンしました。三田さんに「てとてと」立ち上げの経緯や活動から感じること、物理学との関係などについて聞きました。


■みんなの放射線測定室「てとてと」昨年オープン

―自己紹介も兼ねて、活動についてご紹介をお願いします。


三田常義さん(三田農園)

 私は30歳過ぎで物理を辞めました。その後約30年間有機農業をやってきました。当時は若気の至りで、物理の研究者という道は自分の一生の仕事ではないと思い込み、求めた道は自然と仲良くなれる仕事「農業」でした。30年たった今でも、人智の及ばない自然界の奥深さを感じつつ挑戦を続けているところでした。

 「安全」と言われている農薬も、本当に安全かという議論はいつもあります。そんな中で化学農薬に頼らず自然に従って作物を育てようという「有機農業」の気運が高まりました。私も有機農業の道を選び、野菜を生産し産直販売をしてきました。

 ところが今回の原発事故です。放射能汚染の中で、自分の作った野菜は本当に安全なのだろうかと自問しました。安全性を確かめられないものは消費者の方に販売することはできません。そこで同じ疑問を持つ県南の仲間で集まり善後策を話し合いました。

 2011年4月半ば頃、県や東電に対して「食品の放射能を測定してほしい」と要望を出しましたが、その当時は全く取り合ってもらえませんでした。食品の放射能測定をする会社などはありましたが、1検体の測定に1万円くらいかかってしまいます。とても無理な金額です。

 でも何としても測定をし、真実に向き合わなくてはいけない。必死に試行錯誤をするなかで、一般人向けの測定機器も市販されていることがわかりました。

 この機器を購入して「農家と市民のためのみんなの放射線測定室」を作ろうと計画を立て、カンパ集めを始めました。最初は不安なスタートでした。でも結果的には全国の皆様からたくさんのあたたかいご支援をいただき、去年の11月23日、みんなの放射線測定室「てとてと」がオープンしたのです。

―実際に活動されてみていかがでしたか?


みんなの放射線測定室「てとてと」外観

 今でこそ自治体の測定器などで無料ですぐに測定できるようになりましたが、当時はそのような場所は全くありませんでした。オープン当初は予約が殺到し、年内は予約でいっぱい。皆様の放射能に対する不安、真実を知りたいという願いがひしひしと感じられました。行政の対応が遅れた中、先駆けてオープンできたことで、その時期に求められた使命が果たせたと感じました。

 放射線の測定には時間がかかります。長い時間をとるほど正確になりますが一方で数をこなせないため、「てとてと」では1検体30分で測定することに決めました。それでも一日に10数検体くらいしかできません。

 2〜3月になると真冬の作物のとれない時期でもあり測定依頼はずっと少なくなりましたが、春になると測定依頼が増え第2のピークを迎えました。国の規制基準が1kgあたり500ベクレルから100ベクレルになったのを機に、宮城でもキノコや山菜から基準越えのものが多数検出されるようになったため、宮城の汚染をさほど感じてなかった人々も、汚染が身近なものになったという印象がありました。

 その後測定依頼は漸減し、皆様の測定意欲も落ちてきたような感触をもってます。放射能という重荷はあるのでしょうが、時間とともに「心配すること」に疲れてしまったような感があります。「放射能はあるようだけど、たいしたことにはならないに違いない。そういうことにしておこう」という心理があるように思います。けれども宮城県も決して安全な場所ではないと思います。ずっとその意識を持ち続けることが必要です。


■放射能問題は一種の公害

―どのような問題点を感じているのですか?


みんなの放射線測定室「てとてと」の測定器

 セシウム-137の半減期は30年です。100年たっても1割は残ってます。影響は子々孫々続きます。それを取り除くこともほぼ不可能です。放射線汚染地帯となると、そこに居ること自体が危険になりますから、どんなに復興、発展しようともそこには放射能があるということで、すべての活動から生気が奪われ、やる気は失せてしまいます。復興といっても根本のところでどうしようもなくなる。普通の災害とは本質的に異なります。

 そうしたことが原因になり、住んでいる人が放射能のことを口に出せなくなります。そこに住む人間の心理的なものが複雑に絡みあってくるので、この問題は非常に厄介です。線量の高そうな地域になる程、余計ナーバスになります。空間線量などを測る時も、おおっぴらに測って歩くのも気まずい雰囲気になってくる。それが未だに続いています。

 これだけ広い地域が汚染されたことは事実です。それなのに行政は「それほど大したことはない、全てにわたって普通の生活をしても大丈夫」ということを強調し現実の汚染状況と真摯に向き合うことを避けているように感じます。原発再稼働にしても、そもそも原発事故がどれだけの環境破壊をもたらし、どれだけの災害を日本にもたらしたかという事実の検証さえ、まだ終わっていないのが現状です。

 実際にいろいろ測ってみると、雨などで流されて雨樋や道路脇の土などの集積物に非常に高い線量のものが検出されます。事故後のわたしたちの日常はそういうものに取り囲まれているという印象です。事故前だったら「放射性物質が漏れた」といって大騒ぎしたような高濃度の放射性物質に取り囲まれた生活を送らざるをえなくなってしまいました。

 仙台の看板、定禅寺通のケヤキにしても、枝から放射能が流れ落ち、樹の真下の線量はかなり高い状態です。木に寄りかかれば、当然身体に多少とも付着します。通学路のガードレールなどでも、不用意に手をかざしたら手にくっつきます。ところが誰もそれを気にしません。そこに放射能がかなりあることになかなか気が付かないからです。

 舗装面から雨で流され集積した土や、そこに生えるコケ、或いは雨どいの下などでは、10万ベクレル/kgレベルのものもあります。計算すれば直ちには影響が出る量では無いかも知れませんが、放射能にはできるだけ触りたくないものです。

 行政は問題が起きてから動くのではなく、きちんと検証して事実を把握し、それを皆に知らせる必要があります。その上で取り除くなり、危険を知らせ避ける手立てをする必要があります。そうでなければ思わぬ被ばくをしてしまう。単に「安全」と言うだけでは駄目です。

 一方で、検査をして確認されたものは安全です。食品に関しては、野菜類からはほとんど検出されません。穀類も大半が安全ですが、注意の必要なものもあります。強く出る物が多いのはキノコや山菜類です。魚は川、海とも要注意。クマ、イノシシ、シカなど自然界の動物はかなり汚染されている状況です。果樹類は野菜類に比べて多少出るものが多いですが、昨年に比べ数分の1に減っている傾向があります。

 安全といわれる野菜でも、たまに強く検出されるることがあります。たとえば春先に保温するビニール資材が汚染されていて、その水滴が落ちて野菜が汚染されるといった突発的ケースがあったりします。ですからほとんど検出されない野菜類も測り続けていくしかないと考えています。

 コンクリート、アスファルトに囲まれた街中は、雨で流されることが多いですが、山や自然は流されずにとどまり循環してます。だから汚染はなくなりません。木やキノコは高汚染ですし、薪を燃やすのは危ないです。場合によっては山に入ること自体覚悟がいることですし、木に触るときも要注意です。ところがこうした現状への認識が、社会としてあまりないことを危惧しています。

 現実に、10万人以上の人が住めなくなり、町や村がなくなってしまった。そんな現実が起きた認識を、もう少し皆で持たなければいけません。我々のような測定所としても、事故の影響が及ぼす現実の姿を、測定を通して示していく必要があると思います。


■街の人のことしか考えていない


 私は自然が好きで、自然に根ざした生活をしたいということで、農業をやってきました。事故の起こる前までは、山に根ざした循環型の生活を夢見て暮らしていました。生き物のベースは自然なのです。

 しかし今、自然に近いものほど、危険になってしまいました。あの頃、夢に描いてこころの拠り所が、ダメになってしまいました。こういう感覚を持つ人は、今は少なくなっているのかもしれません。都会生活が基本になっている人が多くなっていますから。そういう人にとっては、余り感じないことかもしれません。

 国は安全基準を0.23μシーベルト/時(空間線量)、それ以上の場合は除染と定めました。県南は該当地域が多いです。単純に計算すると0.23μシーベルト/時の場合、年間の被ばく線量は2ミリシーベルトになります。一方一般の人の限度は1ミリシーベルトです。

 国の計算では、外にいる時間はオフィスや家に居る分を引くので、それほど浴びないと計算されます。それで0.23μシーベルト/時でも、年間1ミリシーベルト以内に収まるわけです。

 ところが我々農家はずっと外にいて、さらに土を触ります。この計算は我々にはあてはまらないのです。つまり自然に根ざした生活をしている人は考慮してもらってないわけです。施策は、街の生活が基本なんだな、街の人のことしか考えていないのだなと感じます。

 福島県の浜通りは、気候も良く自然環境もよく桃源郷のようなところが多いです。その風土に惹かれて有機農業をやっている人も多かったのですが、大量の人々が移住せざるを得なくなりました。あんなに良いところが住めなくなってしまった。こんな嘆かわしいことはありません。


■思わぬところで物理学と関係

―物理学と現活動との関係はありますか?


農作物を測定する三田さん

 もう物理とは縁がないと思っていましたが、思わぬところで関係することになってしまいました。もともと光物性が専門で、当時は光の領域のスペクトルとにらめっこでしたが、今はγ線領域のスペクトルとにらめっこしています。奇妙な縁ですが、昔取った杵柄が多少は役に立つことになりました。とはいえ放射能は専門外でわからないことだらけです。

 専門家でない一般の人にとって放射能は本当に難しくて良くわからないはずです。各市町村に測定器は数台配置されましたがそれを扱う専門家はほとんどいないのが現状です。民間の市民測定所でも、なかなか詳しいところまで知識のある人材は少なく、素人が悪戦苦闘しながらやってます。

 物理屋さんは少なくとも放射能の基礎はしっかりおさえているので、今回の放射能問題に対し出る幕が無限にあります。原発を直接推進してきたかかどうかに関わらず、物理学が社会に応用される最たるものが原子力です。そんな意味でも、物理屋さんの社会的責任として、今回の事故に振り回されているおびただしい数の人々への一助になるべく、関わっていただきたいものだと思います。

―最後に、中高生も含めた若い世代にメッセージをお願いします。

 今度の事故を受けて文科省は小、中、高校生向けに放射線副読本をつくり、学校教育に放射線教育を加えたようです。ところがこの副読本の内容をみると、放射能がレントゲン、CTを始めとしていかに人類に貢献し役立つものであるかという事ばかりが強調され、今回の事故がもたらしたことが、まったく見えてきません。

 中高生のみなさんは、まずこの事故がもたらした国土の汚染について、さまざまな情報がでてますから、どのような生活をすればより安全に暮らせるか、自分自身の手でしっかり勉強してください。 事故の影響を最も強くうけざるを得ないのは子供世代です。これは自分の身を守るための勉強でもあります。

 いろいろなことをお話しましたが、なんといっても動かしがたい不幸は、私自身がこれまで求め続けてきた「豊かな自然と一体となって生活、成長するための自然」がもう無いということです。もちろん放射能に汚染された自然はあります。しかしその中に仲良く入っていけるような自然ではありません。用心しておそるおそる付き合うしかない自然です。このことが、ほんとうに残念です。

―三田さん、本日はありがとうございました。



三田常義さん(三田農園、みんなの放射線測定室「てとてと」)