研究室訪問記

大気海洋変動観測研究センター物質循環学分野(地球物理学専攻)

中澤 高清(なかざわ たかきよ)教授

【研究内容】
温室効果気体の変動と循環に関する研究
大気海洋変動観測研究センター物質循環学分野のホームページ


1947年、島根県松江市生まれ。1976年東北大学大学院理学研究科博士課程単位習得退学。理学博士。1976年東北大学理学部教務系技官、1979年同学部助手、1986年スクリップス海洋研究所客員研究員、1987年東北大学理学部助教授、1989年宇宙科学研究所客員助教授、1993年国立極地研究所客員助教授、1994年東北大学理学部教授、1998年東北大学大学院理学研究科教授、1999年東北大学大学院理学研究科大気海洋変動観測研究センター長、1999年地球フロンティア研究システムグループ リーダー、2010年海洋研究開発機構招聘上席研究員、現在に至る。日本気象学会賞、山崎賞、日産科学賞、地球温暖化防止活動環境大臣表彰(学術部門)、三宅賞、島津賞、紫綬褒章。

 今回訪問したのは、2009年秋の紫綬褒章を受章された中澤高清教授(地球物理学専攻)です。中澤教授は地球物理学の分野において、地球表層における温室効果気体の変動と循環の解明に関する研究を推進し、特に地球環境科学及び気象学の発展に貢献されました。
 今では知らない人はいない地球温暖化ですが、まだ地球温暖化に対する認識が薄かった約30年前から、世界に先駆けて温室効果ガスの研究に取り組んできた中澤教授。研究から人となりまで、中澤研究室の「今」をお伝えします。


◆温室効果ガスの研究をはじめたきっかけ

―地球温暖化がほとんど注目されていなかった約30年前、なぜ中澤さんは温室効果ガスについて研究しようと思ったのですか?

 私は大学院生の頃、「大気放射」の研究をしていました。マスター(大学院修士課程)の時に山本義一先生の研究室に入り、山本先生が定年退官された後は、 田中正之先生(現・泉萩会会長)が教授になられて、田中先生のもとで研究を続けました。

 ドクター(博士号)は大気放射学の研究でとったんですよ。ところが、大気放射学という学問は、気象学の中でも基礎的な学問。その中でも私は、さらに基礎的な研究をしていました。その当時、日本には気象学講座って、そんなになかったのです。

 ですから大学院の5年間が終わり、田中先生から「職員になるか?」と聞かれた時、「東北大の職員になったら、このままじゃいかん。もうちょっと幅広いことをしなければ」と思ったんです。

 そんな時、チャールズ・デービット・キーリングというアメリカの研究者が出版した、南極点とハワイ・マウナロア山での11年間分の二酸化炭素濃度データについての論文を、偶然、図書館で見つけたのです。


◆新しい学問の展開を図りたい

―大気放射学の研究をしていた当時の中澤さんの目に、キーリングのデータはどのように映ったのでしょうか?

 太陽から地球にエネルギーが入ってきて、地球はそれを反射したり散乱したり吸収したりします。一部のエネルギーは宇宙に戻っていきますが、残りのエネルギーで暖められた地球からは、赤外線としてエネルギーが出て行きます。

 そのバランスで、地球の温度は基本的に決まっています。私がやっていた研究は、気体による赤外線の吸収に関する部分でした。赤外線の吸収にとって重要な二酸化炭素がどんどん増えていると、キーリングは言っているわけですので、いずれ気候に大きな影響が現れるはずです。

 私は、このまま大気放射学を続けていくよりも、少しシフトしたところに研究を向けた方が、新しい学問の展開が図れるのではないかと思って、二酸化炭素の研究をやりだしたわけです。

 それには、研究室のセミナーに顔を出されていた山本先生(当時、宮城教育大学学長)の「重要だから、やってみたらどうか」という強い勧めもありました。つまり、研究開始の引き金は、キーリングの論文でした。


◆誰も手をつけていない状態

 1977年に田中先生を代表者として、日本で初めての二酸化炭素に関する文部省科研費が採択され、研究を開始しました。当時はもちろん、二酸化炭素の専門家はいなかったので、関連する分野の人たちが集まりました。私に与えられた課題は、「大気の二酸化炭素の変動を観測せよ!」。

 当時は、日本の研究者たちは関心がないし、世界的にも研究者の数は少なかったですね。私が研究を始めた頃は、二酸化炭素の観測点は世界に12〜13点くらいしかなかったです。それのほとんどは、キーリングが持っていたものでした。

 また、日本の気象庁に相当するアメリカのNOAAや、オーストラリアのCSIRO、カナダ環境庁なども前後して観測をスタートした、という状況でした。

 ですから、私たちが研究を始めた頃は、ヨーロッパからハワイくらいまで、誰も手をつけていない状態。だから、もう、やりたい放題ですよ(笑)


◆あなたらは、キーリングにだまされている

―研究を始めた当初、ご苦労も多かったのではないでしょうか?

 現在、二酸化炭素のほか、メタンや一酸化二窒素が増えていることは誰でも知っていますが、当時は、メタンや一酸化二窒素の増加なんて誰も知らなかったのですよ。日本でも「二酸化炭素が増えている」というキーリングの主張を、「嘘だ。あれは自然現象だ」と言っている研究者もいました。

 今でも、いわゆる反温暖化論者の人たちはいますが、当時は関連分野でしっかりとした研究をされていた先生からも「あれは嘘だよ」、「あなたらは、キーリングにだまされている」と言われましたよ(笑)

 当時はレコード(記録)も短く、変化も小さかったから、そのように感じたのでしょう。その後、我々も含めて、南極の氷なども分析し、本当に大きく変化したことを証明しました。ですから今は、研究者の人たちは「自然現象だ」とは言わないですね。

 当時のデータと最近のデータを比べると、量も質も全然違いますし、解析の手法もずっと高度になっていますね。特に、1990年代に入ってから、温暖化に関連した研究は大変活発になり、温室効果ガスの増加が人間によるものであり、放出源や吸収源の強さや分布が時間とともに変化していることも分かるようになりました。


◆温室効果ガスの「循環」を地球規模で明らかにしたい

―そもそも中澤さんが研究を通じて明らかにしたいことは何ですか?

 私は、気候モデルを開発しているわけではなく、地球温暖化を引き起こす原因である温室効果ガスの研究をしています。

 人間が活発に活動していない時代、例えば300年前には、温室効果ガスは、どこかで出てどこかで消滅して、バランスしていました。だから、大気中の濃度も変わらず一定でした。

 ところが、そこに人間が余分に温室効果ガスを出すものですから、そのバランスが崩れる。その結果、二酸化炭素やメタン、一酸化二窒素などの濃度が上昇しているわけです。

 そのような濃度の増加がなぜ起こっているのか、理解したいのです。どこの地域で、どのような過程で、どれくらい出て、どれくらい吸収されているのか、その結果、大気にいくら残るのか。また、その放出や吸収の強さが、時間とともにどう変化しているのか、を知ることです。

 これを「循環」と言います。その解明を地球規模でやることが、私の最大の興味です。


◆温室効果ガスによって変化した気候が、循環をくるわせる

 これから先、地球は温暖化していくでしょう。すると、循環は、そのような気候変化によって影響を受けます。温室効果ガスは、気候に影響を与えますが、同時に、気候が変わると、自身も変化するのですよ。それは循環がくるってしまうためです。

 例えば、陸上植物は光合成したり、呼吸・分解したりして、大気と二酸化炭素を交換しています。人間が二酸化炭素を出して大気中の濃度を上げ、温度を上昇させるでしょう。そうすると植物は、最初のうちは、二酸化炭素を活発に吸収するんですよ。今が、そういう状態です。

 そのうちに、どんどん温度が上がっていくと、今度は、呼吸・分解の効果が勝ってきます。すると、今まで長い時間をかけて、植物がため込んできた炭素を吐き出してきますから、大気中の濃度は上昇し、ますます温度を上げることになっていきます。


◆気候が変わると、海も変わる

 海も気候変化の影響を受けるでしょう。例えば南極海は、かつては人間起源の二酸化炭素を大量に吸収していると言われていたんです。ところが人間がオゾン層を破壊したために、南極上空の西風が強くなってきています。それが今、どうも南極海の吸収を弱めているようです。

 深海には、海洋の生物が運んだ、たくさんの炭素があります。それが、西風が強くなることで変わった海流により、海面へとわき上がってきているようです。このような効果が強くなると、これまでに海がため込んでいた二酸化炭素を放出することになるかもしれません。

 ほかに、北極域での二酸化炭素の吸収も影響を受けるかもしれません。グリーンランド周辺では、メキシコ湾流が北上して冷たい空気と当たり、活発に蒸発が起こっております。すると表層の海水は高塩分になるので、比重が重くなり、海の底に沈んでいきます。その時、二酸化炭素を一緒に深層に輸送します。

 ところが温暖化すると、そこに雨が降るようになり、高塩分になりにくくなるので、深層水の形成が弱まり、海の吸収が変わってしまうかもしれません。

 海に関して、気候の変化とは直接関係はありませんが、今、皆が心配しているのが、酸性化の問題ですね。二酸化炭素は酸として働きますから、人間起源の二酸化炭素を吸収するということは、海が酸性化するということです。すると、海の化学的性質や、海洋生物、その活動が変わり、大気中の二酸化炭素濃度に影響を与えると考えられます。

 つまり、このようなフィードバックが、たくさんかかってくる可能性があるんです。


◆将来予測のために必要な基礎データを提供

―とても複雑なシステムですね。そのようなフィードバックまで全部考えなければならないとなると、将来の気候予測は非常に難しそうだと感じました。

 地球というのは、非常に複雑なシステムです。確かに将来の気候を予測することは簡単ではありません。正確な予測を行うためには、関係があるプロセスについて、現状をきちんと理解すると同時に、将来に起こるフィードバックについても理解しなければなりません。

 気候の将来予測は、モデルを使って行われます。モデラーは、ある条件を与えて気候モデルを走らせ、例えば「100年後、どれくらいの温暖化になりますよ」といった予測をします。

 その予測の正しさは、使用したモデルの性能だけでなく、条件として与える将来の温室効果ガスの濃度にも大きく左右されます。私たちの研究は、気候モデルにとって基礎となる、将来の濃度を正しく与えるために必要なものです。


◆対策を打つために必要な知識となる基礎データも提供

 それともうひとつ、気候モデルを走らせ、非常に深刻な状況が予想されるとなれば、対策を打たなければなりません。対策を打つためには、濃度の増加がなぜ起こっているのか詳しく知り、また、循環が将来どのようなるのかを、きちんと理解しないといけません。

 例えば、二酸化炭素の増加に化石燃料消費がどれくらい寄与しているのかとか。今は二酸化炭素の吸収源である陸上生物が、あとどれくらいで放出源にまわるのかとか。海が酸性化して行くと、海による二酸化炭素の吸収がどのようになるのかとか。メタンや一酸化二窒素は何から発生して、どのように消滅されるのか、それぞれの強さはいくらであるかとか。

 このようなことが分かると、我々の生活に深刻な影響を与えないようにするためには、これから先の温室効果ガスの放出をどの程度にすべきか、決めることができるわけです。


◆やればやるほど、地球の複雑さがわかってきた

 実を言うとね、1977年に研究を始めた頃、世界を対象に10年間くらい観測をして、その後でモデルをつくって解析したら、地球の二酸化炭素の循環はわかると思っていたんですよ。ところがどっこい。全然だめで(笑)。やればやるほど複雑で、これは大変だと思いましたね。

 ただ、77年当時と今では、温室効果ガスの循環に関する知識は大きく変わっています。この30年で理解は向上し、最初の頃に全く分からなかったことが分かるようになっています。

 あと、やっぱり地球は広いですね。我々は、一つの研究室としては、世界でも非常に稀なほどに幅広く研究をやっています。けれども、それでも追いつかないですね。ですから、国際協力も強力に進めています。


◆国際協力でやらないとできない

―広大な地球を対象にしているため、国際協力なしには十分なデータは得られないのですね。

 例えば我々ですと、日本のテリトリーは観測できますね。また、日本(国立極地研究所)は南極に昭和基地、北極にニーオルスン基地を持っていますから、そこへ依頼して観測することができます。けれども世界中に全て、手を伸ばすのは難しいですね。

 一方、アメリカはアメリカで、世界中を観測するのは難しい。ヨーロッパの国々も事情は同じです。ですから皆でデータを持ち寄って、研究を進めています。インタビューが始まる前に、アメリカの研究者からの共同研究の申し入れに対して、受け入れるという返事を書いているところでした(笑)

 相手(地球)が変化するのも大変ですよ。固定された地球であれば、時間さえかければ、訳ないのですけどね。こっちも変わるし、あっちも変わる。海は変わるし、陸も空も変化しています。気候が変わると、それでもまた変化する。それらを全部追いかけないといけないですね。

 海外出張に出かけると、「あそこからあれが出ているのかな?」と見えちゃう(笑)。シベリアの上空を飛行すると「メタンがかなり出ているな」とか ね。ソビエトが崩壊した翌年に、ロシア全土にわたって温室効果ガスの飛行機観測をやったんです。その時もなんて広いんだと思いましたが、それ以上に広い地球を相手にしな ければならないですからね。


◆時間と空間をカバーする研究室は世界でここだけ

 我々は、現在の大気だけを相手にしているわけではなく、過去のことを知るために、南極やグリーンランドで氷を掘って、それを分析し、72万年くらい前から現在までの変動を調べてきました。

 例えば、過去72万年を復元にしたいときは、氷を3000メートル以上掘り、過去300年を正確に復元したいときは、雪がたくさん降る場所で200mくらい掘って、それを分析します。

 ですから、ちょっと冗談めかして、我々の研究を、「時間軸は、過去100万年から将来100年先まで。緯度は、北極から南極まで。高度は、下は−4キロから上は35キロまで」って言っていますよ(笑)

 要するに、時間と空間を徹底的にカバーしちゃおう。そういうことを、一つの研究室でやっているのは、世界にも例がでないですね。


◆無料で世界中を観測する方法を考えつく

―時間と空間を広くカバーしていると先ほど仰っていましたが、それだけ多くの観測所を持っているということですか?

 我々は大学ですから、観測所をつくるのは全く不可能です。もしかすると一箇所くらいならば文科省も「うん」と言ってくれるかもしれませんが、さっき言ったように、地球はとてつもなく広いですから。やっぱり面的、立体的に調べていかなければダメです。

―では、観測所もお金もないのに、どうやって世界中を調べているのですか?

 まず地上については、極地研究所と協同して、南極や北極で観測しました。つぎに、船会社に頼んで、商船に空気をとる装置をのせ、飛行機会社に頼んで、飛行機で上空の空気をとることをしました。

―観測専用の飛行機ではないのですか?

 飛行機は、普通の民間機ですよ。機体の空調システムを利用して外の空気をとり、研究室で分析をするということを、1979年から今日までずっと続けています。また、船会社にもお願いして、北米航路やオーストラリア航路などに就航している多くのコンテナ船を使わせてもらいました。

―なるほど。船や飛行機は決まった航路を定期運行しているから、それなら観測所がなくても定点観測ができますね。

 そういうやり方を考えついたのは良かったのですが、地球温暖化が世の中で知られてない頃でしたので、交渉するのが、すごく大変でしたよ。何回も何回も交渉に行きました。全然だめなこともありました。


◆2年くらい、何回も交渉に通った

 ある飛行機会社は、交渉に行ったら「前例がありません」と、あっという間に断られました。「うちはお客を運んでなんぼの会社だから、そういうことには協力できない」って、それだけでしたね。

 それで今度は、別の会社へ交渉に行きました。当時小さな会社だった東亜国内航空です。仙台空港の整備士の人が、図面を調べ、実際の機体で確認し、「やれますね。外の空気、とれますね」と言ってくれたのです。

 その整備士の人が、本社の運航本部長を紹介してくれました。その人は、パイロットから取締役になった人で、「研究ですから、協力しましょう」と言ってくれました。このようにして、日本の上空(の観測)を始めたんです。

 観測をやっているうちに、日本の上空でも緯度によって様子が違うことがわかってきました。北は北極まで、南はオーストラリアまで観測したい。それで今度は、色々な人のつてをたどって交渉すべき窓口を探しだし、日本航空に行きました。当時は ロシアの上を飛べなかった時代です。皆、アンカレッジ経由でヨーロッパに行っていました。

 そもそも温暖化するなんて、まだ一般の人は誰も知らない時代でしたから、日本航空からは「非常に難しい」と言われました。でも、2年間くらい通いましたね。すると担当課長が「じゃあ、いいよ、2年間だけ協力してあげるよ」と言ってくれました。

 現在、日本航空は環境に関して理解が深く、その保全活動に大変努力しておられますね。そして東亜国内航空も、日本エアシステムに代わって、現在は日本航空になっていますが、今でも、きちんと対応して頂いています。

 それから、船会社もそうでしたね。当時の運輸省に電話し、日本郵船を紹介してもらい、対応してくれた社員の方に「地球が温暖化するかもしれません」と言ったら、笑っていましたけどね(笑)。でも最後は「わかりました、協力しましょう」と言ってくれて、この船舶観測も今日まで継続しています。

 このようにして観測を地球規模に展開していきました。もちろん、海外の研究者とも共同して、地上観測や航空機観測、大気球観測などもたくさんやってきました。


◆氷の分析は、我々にしかできない

 氷の分析を始めるときも大変でした。温室効果ガスの循環を理解するためには、現在だけでなく、過去の変動を知る必要があります。そのためには、南極やグリーンランドの氷の中から昔の空気を取り出して、測定したら良いことに気づきました。

 我々は氷そのものを掘ることは、当時、全くできなかったので、極地研究所を訪ね、雪氷学の研究者たちに、「氷、くれませんか?」 と言ったら「えっ?!」って顔をされて。

 それでも、現在、極地研究所長を務められている藤井さん、当時、助教授だったのですけど、彼と長い時間をかけて話し合ったんです。すると「じゃあ、南極の氷を少しあげるから、それでうまくやれることを見せてくれ」と言ってくれました。

 それから、氷から空気を取り出し、そのわずかな量の空気の温室効果ガスを高精度で測定する技術を、試行錯誤を繰り返しながら、完成させました。頂いた氷を分析し、「いい結果が出ましたよ」と報告したら、彼が「うーん」と唸りながら「これはすごい。いいよ、あとの氷も分析して」と言ってくれたのです。

 氷の分析からは、新しい事実が次から次へと見つかり、大変面白いものです。しかし、極めて高度な技術を必要とするために、現在でも、まともな結果が出せる研究グループは世界でも数グループであり、日本では私たちだけです。


◆一番最初にネットワークをつくってしまった

―世界でも他にないくらい幅広い研究ができている前提、強みは何ですか?なぜ他のところは真似できないのでしょうか?

 今では、日本の中でも(温室効果ガスの研究が)活発になっています。国立環境研究所、極地研究所、産業技術総合研究所、気象庁、気象研究所、海洋研究開発機構のほか、大学でもやられています。

 それらの中心メンバーの多くは、東北大学の出身者です。我々の研究室が温室効果ガスの研究に早くから取り組んでいたので、即戦力のある人材として採用してもらえ、力を発揮しているのだと思います。

 一見すると、所属機関が異なるので、研究室の出身者がライバルに見えるかもしれませんね。もちろん、彼らは所属機関としての独自の研究もやっていますが、多くの研究を我々と共同して進めています。

このように、観測のネットワークだけではなく、人的なネットワークも作りましたので、幅広い研究ができるのだと思います。


◆なぜ、そんなことがタダなんだ?

アイデアや人的なネットワークだけでなく、日本人が伝統的に学問に敬意を払うという特性を持っていることも、大きな要因だと思っています。

―その日本人の特性は、海外と比べると、全然違うとお感じですか?

 全然違います。むこうでは、お金が重要ですよ。僕ね、1980年半ばにキーリングに呼ばれて、彼の研究室に1年ちょっといたことがあるんです。そのときに彼から「なぜ、こんなに大きく展開ができるんだ?一体、お前はいくら金を払っているんだ?」と聞かれました。「全部タダだ」って答えたら、「なぜ、そんなことがただなんだ?」とすごく驚かれました。

 船会社や飛行機会社に行って「将来、地球の気候が変わるかもしれない。その基礎になる研究をやりたいので協力してもらえないか」とお願いしたら、「学問のためなら、協力してあげましょう」と言ってくれた、と説明しましたところ、二度びっくり。

 また、温室効果ガスの濃度を正確に決めるためには、基準となる「標準ガス」が必要なのです。我々が観測を始めるころには、まともな標準ガスが日本にはなかったので、それからつくったのです。その時も、日本酸素の工場長が非常に熱心に対応して下さり、「新しいものを作ることに協力できることは、当社の名誉です」と、費用をタダにしてくれたと話したところ、肩をすぼめていました。

 現在は、利益につながらないことは日本の会社もやりたがらなくなってきていますが、学問に敬意を払い、すぐにお金という対価を求めないという、日本人が持っている国民性に感謝しています。


◆椅子に座っていても、しょうがない

―中澤さんが、研究室や大学の枠を超えて、やりたいことを実現していった結果が、他の人には真似できない展開となっているのですね。

 そうです。僕は、研究室の中に、じーっと、とどまっているタイプじゃないんですよ。必要ならば、ためらわずどこにでも出かけますし、交渉にもいきますし。

 私たちの研究にとっては、そのようなやり方が、結果としてはよかったですね。観測のネットワークも、人のネットワークもきちんとできました。

 海外の研究者も「日本にはあいつがいる」と、誘いをかけてくれますし、こちらから「データ、使わせてくれ。共同研究をやろう」と申し入れると、すぐに対応してくれます。

 特に、地球科学・地球物理にように、空間的に広い、時間軸の長い現象を相手にする場合、研究室でいつまでもじーっと椅子に座っていても、しょうがないですよ。もちろん、座っていなければならない時もありますけどね。


◆失敗するのも、良いこと

―中澤さんが、既存の枠にしばられず、「こういうものをやりたい」と思ったものを形にしていった結果が、今の成果につながっていることが伝わってきまし た。

 僕は、優等生タイプじゃないです(笑)。自分が必要と思ったら、何でもやってみるというタイプです。子どもの頃から、そういう性格だったようですね。

 何かが起こるのを待つのは、好きじゃないですね。自分で起こす方がいい。だいたい、待っていても、何も動きはしないです。考えついたら、実行した方がよい。それで、だいたい、失敗するんですよ(笑)。失敗したら、もう一回、やり直すんです。

 失敗するのも、良いことなんですよね。失敗すると、悔しいから、また考えるんです。こういう風にやれば、うまく行く、って。失敗すると、考える材料を与えてくれるでしょう。

 反対に、苦労せずうまくいったことは、印象に残らないですし、後々の材料にならないですね。当たり前だと思っちゃうから。失敗して、深く考えて、 「ああ、なんで失敗したのだろう」と考えるのが、良いと思いますね。


◆自分が関心を持ったら、積極的に行動してみる

―最後に、中高生も含めて、後輩へメッセージをお願いします。

 やっぱり大事なことは、自分を前向きにして、関心を持ったら、積極的に行動してみることだと思います。それは要するに、新しいことを知るとか、新しいことをつくりあげるとか、そういうことを楽しむようにしないとダメだと思いますね。

 「苦しい、苦しい」と思ったら、全然おもしろくないです。前向きにいつも考えて、積極的に行動して、新しいことを知ることができることを、楽しみに感じないとね。

 これは、研究に限ったことではないと思いますね。学校でも、会社でも、与えられて「つまらん、つまらん」と言いながらやるのではなく、積極的に「こういうことをしてみたらどうだろう」と、絶えず自分を前向きに仕向けることが大事じゃないかと思います。


◆新しいものをつくること、新しいものを知ることを、楽しめることが大事

 やっぱり新しいものをつくるとか、新しいものを知ることを、楽しめることが大事。プロセスが苦しいことは確かだと思いますけど、最後の一点でニヤッと笑えるかどうか。今でも、思い出しますね。大学院生の頃の日曜日、あんなことを思っていたな、と。

 車もテレビも、何も持っていなかったから、行くところは、学校しかない。ほぼ365日、研究室にいました。日曜日に晴れると、ものすごく嫌でしたね。皆楽しそうにしているのに、なんで自分だけがこんな薄暗い部屋に一日中いるのかって。しかも、研究はうまくいかない。

 それでも、少しずつ研究が進み、完成すると、やった!という気分になる。それが、これまで研究を続けてきた原動力だと思います。「新しいことを知りたい!やりたい!」と。

 まぁ、大学生の頃は、あまり真面目じゃなかったですね。山岳部の方が忙しくて、勉強はほとんどしなかったですね(笑)。けれども、集中することと、気持ちの切り替えを上手すること、計画を立てて実行すること、決断したらためらわないこと、などを身につけましたね。

 年をとって退職したら、また山に行こうと思っていたのですけどね。ただ病気になって、足が悪くなってしまい、医者から山には登るなと言われているんです。その時がきたら、また別の趣味を見つけますよ。

―「自分が興味を持ったことなら、積極的に行動してみる」中澤さんのスタンスなら、すぐに新しい趣味も見つかりそうですね。中澤さん、本日はどうもありがとうございました。


■学生インタビュー

中澤研究室にお邪魔しました。学生の皆さんがリアルに感じていることを中心に伺うことで、研究室の「今」、大学生・大学院生の「今」を、雰囲気そのままにまるごとお伝えします。


左から、日塔春恵さん(修士1年、山形県出身)、岡田智仁さん(修士1年、愛知県出身)、後藤大輔さん(博士3年、広島県出身)


◆中澤研究室を選んだ理由

―中澤研究室を選んだ理由は何ですか?

後藤さん(博士3年)
 僕は、学部時の振分けで希望していた地球物理学科に進めず、物理学科を卒業しました。大学院で地球物理学専攻を受験し直し、配属先研究室を調べていた時、学部時代に受けた中澤先生の授業を思い出したことがきっかけです。中澤先生は、威厳はあるのに、親しみやすかったことが印象的でした。

岡田さん(修士1年)
 3年生になると、(研究室配属のため)地球物理の各研究室を見学します。その中で、この物質循環の研究室は実験をやっているので、おもしろそうだと思い、選びました。

日塔さん(修士1年)
 プログラミングではなく、実験をやりたくて、この研究室を選びました。

◆研究生活について

―実際に研究室に入ってみて、いかがですか?

後藤さん(博士3年)
 僕はここに来てから、まずは観測装置の開発から始めました。市販されている装置は、そのまま使えるわけではなく、我々が必要とする精度を出すために、改良を加えたり、一から全部つくったりする必要があります。

 僕は、自分が作った装置で二酸化炭素や酸素の濃度を測っています。最初に自分が作った装置で、はっきりと綺麗に日変化が見えた瞬間は、とても嬉しかったですね。苦労して作っただけに、感動は大きかったです。

―修士1年の皆さんは、いかがですか?

日塔さん(修士1年)
 先生に提示された研究テーマがあるので、それをこなそうかな、という感じです。後は、院試の勉強ですね。

後藤さん(博士3年)
 学部の間は、直接、実験装置を触るのではなくて、基礎的な知識を身につける時期だと感じています。4年生の間は、大学のカリキュラムや研究発表会がメインになりますね。あとはいろいろな英語の論文を読んで、紹介したり、自分の感想を混ぜて発表したり。

岡田さん(修士1年)
 僕は2月くらいから、ちょっとだけ実験をやったのですけど。これは大変だなと思いましたね。うまくいかないことがあるのですけど、それがなぜうまくいかないのか、原因がわからないんです。

 装置自体が「なんだか今日は調子が悪いな」という時もありますし、装置が駄々をこねることもあって。実際の分析は、まだ何もやっていないのですが、そこまで行くまでに大変なことがいっぱい。そんな感じです。


◆中澤さんについて

―中澤先生に対しては、どのようなことを感じていますか?

後藤さん(博士3年)
 やっぱり、すごい教育者だなと思います。僕ら学生が、どんなにつまらない質問をしても、丁寧に返してくれます。メールでも直接話をしても、絶対に放っておかず、最後まで丁寧に対応してくれますね。

 先生が怒ると怖いです。もちろん変なことで怒ったりはしませんが、やるべきことをやっていないときは、かなりの雷が落ちます。教育的な叱りですね。なかなかあそこまで、言ってくれる人はいないんじゃないかなと思っています。

岡田さん(修士1年)
 やっぱり、学生のことをすごく思ってくれている先生だと感じます。例えば、発表会の練習なんか、僕ら4年生の下手な発表も、真剣に聞いて、真剣にアドバイスをくれます。すごく良い先生だなと思います。

後藤さん(博士3年)
 先生が紫綬褒章を受賞された昨年、お祝い会の席を設けました。その時に来たOBの方も「中澤先生は、学生が思っている以上に、学生のことを考えている」と話していましたね。

 中澤先生を持ち上げるわけじゃありませんが、僕らの見えないところで、話をつけたりしてくれていて、やっぱり、すごい教育者だなと思いました。


◆後輩へのメッセージ

―最後に、中高生の後輩たちへメッセージをお願いします。

後藤さん(博士3年)
 もし僕が高校生の頃に戻れるとしたら、きつく言ってもらいたかったことがあります。それは、いろいろな分野の人の話を、もっと聞いてほしいということですね。

 今こうやって専門分野の中に身を置くと、自分から動かなければ、専門分野の話しか入ってきません。けれども、他の分野から学ぶことは大きいなと、最近感じています。

 例えば、(実は関係ないと思っていたものも)いろいろなところで、つながっているんですね。そういうつながりが膨らんで、フィードバックしているなと感じています。

岡田さん(修士1年)
 自分が「こうしたい」「ああしてみたい」と思ったことを、やっぱり、やってみるべきかな。自分が興味を持ったことは、何かしら自分から行動することが大事かなと思います。

 僕自身、すぐに行動できるタイプではないので、行動力のある人がうらやましいのですが、何か興味を持ったことを、何でもいいのですが、やってみてほしいですね。

 例えば、習い事。僕は小学校くらいまでは習っていましたが、中学校に入ると辞めてしまって。けれども今思えば、勉強に関係ないところもやっておけばよかったなと思います。

 なかなか大学生くらいになってからでは、新しいことを始めるのも勇気がいります。でも中高校生の頃なら、いろいろなことに挑戦できるのではないでしょうか。

日塔さん(修士1年)
 夢のないことを言いますが、自分の力量を見極めて、現実的に生きれば良かったなと思います。今やりたいことをやるというより、それを選んだらどうなるか、もうちょっと考えて、行動すれば良かったなと後悔しています。

後藤さん(博士3年)
 自分の力量を見極める上でも、若いうちにいろいろな経験をするのが大切ですね。

―皆さん、本日はどうもありがとうございました。



宮城の新聞:中澤高清さん(東北大学大学院理学研究科教授)